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「こないだ、歌舞伎どうでした?」
思ったよりも、普通に聞けた。
「良かったよ。ニ三郎が連獅子やったんだ。結構、珍しかったらしい。」
「高頭さんて、誰?」
向井さんがこちらを見る。人のまばらな22時過ぎの電車では、隣に座る人ももういない。
「高頭さんはね。歌舞伎仲間。ニ三郎のご贔屓なんだよ。高頭さんのチケットが余ったら連絡が来る。都合が良ければ一緒に行く。」
「前は、演劇を一緒に観る友達はいないって言ってた。いるじゃない。」
だから、高頭さんは仲間だよ。とまだ繰り返す。
「高頭さんとは、現地集合、現地解散。いいね、良かったね。しか言わないんだから。」
ニ三郎が出てないと、またねで帰っちゃうんだから。はっきりしてるよと、前の座席の後ろにある窓を見る。向井さんと僕が並んで座っている。
僕はその点は納得がいかない。菅さんと、高頭さんと、向井さんがいて、どう知りあったら一緒に出掛けるまでになるのかわからない。
「高頭さんのお友達と、俺が知り合いだった。てことだよ。」
それ以上は、言えません。目を斜め上にキョロリと向けてとぼける。それは、菅さんで。じゃあ菅さんは何者なんですか?とは、また聞けない秘密になった。
窓の外を流れる夜を見ながら、秘密は少ない方がいいなと考え直す。
「時計は?腕時計は、柏木さんと買ったんでしょう?」
僕は座席から見える床に目を落とした。アナウンスが停車駅を告げた。
「はは…あはは…ははは…ばかだねぇ。」
もう10分以上も、向井さんは隣りで笑い続けている。乗り換えて、電車から降りてもまだ。
「そんなに笑うなよ。だってそれ、柏木さんと同じブランドだし。疑いたくもなる。」
違うよ。あっちが真似したんだよと言ってまた笑う。
「俺がずっとここのをしてるの。柏木がいいねって自分で選んだんだから。」
だけどね。とこれは申し訳なさそうに。
「4月に柏木から、戻って来て欲しいって言われて。出来ないって断ってから外した。それから前のは、もうしてない。」
それまでは、してた。ごめん。帰ったら、見せてあげると僕の手を引いた。
「俺さ、考えたんだけど。このマンションのご老人達を安心させるためには、カヤケンと俺が恋人同士だとわかりやすくしておいた方がいいかもね。」
僕の手を恋人繋ぎにして、これならさ。
「警察が聞き込みしててさ、あの人達は誰ですか?って誰かに聞いても、いつも手を繋いで帰ってますと言われれば、ああそうですかってなるかもしれないし。」
ついでにねと、僕の頬にキスをする。
僕はその唇が離れたところを逃さず、唇にキスをする。向井さんを抱きしめて、深く、右手で頭を抱いて、もっと深く。
「ばっか…調子に乗るなって。」
向井さんが文句を言って離れながら、また戻ってきて軽くキスをする。
「呪いが解けた。」
僕はとても安心して、その場に座り込む。
「なに、泣いてんの?俺がやっつけたみたいに見えるから、立って。泣きながら歩いていいから。」
泣いてませんよと俺は立ち上がって、向井さんの手をまた握ってマンションまで歩き出す。
「なんだ、笑ってるんだ。」
僕の心配事は、あっけなく、ものの30分程度で解決したわけだ。柏木探偵局長と助手カヤケンの奮闘も虚しく。
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