18人が本棚に入れています
本棚に追加
柏木が運転席に座ると、向井は車外で、どう?と聞いてくる。
「こっち乗りなよ。」
柏木が助手席を指す。俺はいいよ、わかんないしと言いながら向井がしぶしぶ助手席に乗ってくる。
メーター、サイドブレーキ、空調の位置などを一通り確認して。見通しの良さはどうか、窓の位置を見ながら、内装はこれじゃ嫌だな。他にあるのか見てみないとと呟いている。
「あれなんでしょ、標準でもなく、一番いいのでもなく中間あたりがいいんでしょう、柏木は。」
自分の車でさえあまり興味を示さなかった向井の車は柏木が勝手にモデルを選んだようなものだった。
「だからって本気にして、こんなの、買うなよ。老後にお金は必要だ。」
そうね、と柏木はハンドルを握ってみる。これも変えてもいいかもなと考えていた。
「向井はさ、なんでマスターズに入ったの?」
4月に入る予定の新入社員が一人、入社を辞退したいと昨日連絡をしてきたのを思い出した。採用活動は時間をかけて選んでも、上手くいかないと課長がため息をついていた。
「ネットで、職業の適正チェックやったら、小売業がおすすめって出てきたから。ほら、特技、性格、長所、短所入力してぽちっとするやつ。」
「それだけ?」
「大体、それだけ。柏木は?」
「俺、3年生の時に怪我して、4年の夏までずっと入院してたら。就活できてなくて。まずいなと思ってたら1月に教授がマスターズで経理一人欲しいって言うから。」
「それだけ?」
「受けたら来てね、で。」
なんだよそれ。就活もなにも、ないな。と向井が面白そうに笑う。
久しぶりにゆっくり話ができているなと、柏木は嬉しくてまた車をあちこちいじっていた。
向井はあっち見てくると車から降りた。
「青は、なんでラッキーカラーなの?」
帰りの車内で柏木は向井に聞いた。
外には空にまで飛び出すように大きい、木と呼ばれる電波塔が青い光を纏っていた。
「水色のワイシャツを着て、マスターズの白衣を着た日、初めてお客さんに褒められた。あなた、笑顔が素敵ねって。そのはずだよ。だってその前にすごくいいことがあったんだ。俺が気分が良ければ、他人に優しくできる。新しい発見だった。」
ある日の朝、薄い水色のワイシャツを着ながら背中を向けた向井がちゃんと付き合ってと言ったことを思い出した。いいよと柏木は言った。
チャリチャリと黒い腕時計をして。
鍵、ポストに入れておいてと、俺に投げようとして、違うなと引き出しを開けて何本か鍵の付いたキーホルダーを出してきた。
ああ、取るのめんどくさ、これ全部同じ鍵だから一本取って、それで閉めて。とキーホルダーごと投げてくる。
ベッドの下に落ちた鍵を、柏木は起き上がって拾い上げた。
アイロンがかかった水色のワイシャツを着た向井を柏木は背中から抱き締めた。これは運命だと思った。向井はどうだったろうか。
暗い車内に時折入る外灯が向井の横顔をちら、ちらと見せるのがとても綺麗だった。でも、顔じゃない、向井の全てがすごく好きだと思った。
柏木は、青い車を買ったら、向井にプロポーズしようと同じ方向に流れる車たちを見ていた。
最初のコメントを投稿しよう!