4人が本棚に入れています
本棚に追加
姉さんが食卓の自分の席に座る。おれはそれを尻目に、炊飯器を操作した。
朝の六時半に炊けるよう、タイマーを押す。
そうしながら、ふと、姉さんのご飯が恋しくなった。
無理はしてほしくないけれど、あの素朴なおいしい料理を口にしたいのも事実だ。
みんなもきっと、同じ気持ちでいるんだろうな。
そう思ったところで、ぱあっと、何かが光った。
明かりをつけていたのは台所だけだから、食卓よりも向こうは、暗闇に包まれている。
家の中と同じくらい真っ暗な窓の外を、オレンジ色の光が通りすぎたのだ。
……車?
この辺りに住んでいるのはお年寄りが多い。
ただでさえ車通りは少ないんだけど、夜になるとよりいっそう、静かになる。
……はっとする。
もしかして、草一郎が帰ってきたのか?
姉さんを見ると、目を大きく開いて、窓の外を見つめている。
そしてゆっくりと立ち上がり、胸元でこぶしをきゅっとにぎりしめた。
草一郎は明日、あいさつに来ると言っていた。今日は遅い時間になるからと、遠慮したようだった。
だから、今夜会わないといけないなんて、理由はない。
でも、会えるのなら。
「しず……。私、ちょっと行ってくる」
姉さんはそう言うと、階段の方へ駆けだしていった。
ぱたぱたと階段を上がっていく音を聴きながら、おれはこっそり、エールを送る。
頑張れ。
……頑張れ、姉さん。
少ししてから、階段を下りてきた。……途中でつまづくような音がしたので、あわてて廊下からのぞきこむ。
シンプルなワンピースの上に厚手のカーディガンを羽織っている姉さん。階段の手すりをつかんで、転倒をまぬがれたらしい。ちらっとおれを見てはにかんでから、玄関へ駆けていく。
そして、引き戸を開くと……。
「わ、……っ!?」
目の前に、草一郎が立っていた。
びっくりして声を上げた姉さんが後ずさる。草一郎も、驚いたように目を丸くしていた。
「和紗……。それに、しずも」
廊下に立っているおれにも気づいたようで、草一郎は目を丸くしておれ達ふたりを見比べてから、くしゃっと笑う。
「夜も遅いから、明日にしようと思ったんだけど。……やっぱり、会いたくなってさ」
「うん……お帰り、草一郎」
一ヶ月も顔を見ていないと、こんなにも懐かしい気持ちになるんだな。
じわじわとこみ上げてくる、温かい気持ち。草一郎も同じように感じてくれているのだろう。
いつもの穏やかな笑みをおれに向けて、
「ああ、ただいま」
と言ってくれた。
姉さんは黙って、草一郎を見上げていた。
その視線に気づくと、草一郎も姉さんに向き直る。
自分よりも少し高い位置にある、青年の顔。
それを見上げる姉さんの表情は、おれからだと見えないけれど。
「おかえり、なさい」
……優しい、声だった。
それに、とても甘い。
きっとこんな声は、他の誰にだってかけることはないんだろうと、思えるような。
その声を聴いて呆然としている草一郎に、姉さんは、こう言った。
「……いっぱい、がんばりましたね」
それは、いたわりの言葉だった。
耳にしたとたん、草一郎は瞳を揺らした。しばらく姉さんを見つめてから、その手が動く。
大きな手のひらが、姉さんのほおに、ゆっくりと向かっていった。
おれはそっと、物音を立てないように階段をのぼっていく。
ここからは、ふたりだけの時間だ。
……そう、思ったから。
最初のコメントを投稿しよう!