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「うん。さっき着いたばっかり。ティモじいが元気そうで安心したよ。禿げには磨きかかったけど」
「放っとけい! お前、竜騎士学園に行ったんだって、噂で聞いてるが」
カイがにかっと歯を見せて笑う顔が、わずかに視界に入る。
「うん。なった、竜騎士」
「本当か! たまげたなぁ……。お嬢さまの後ろを引っついてたお前が、すっかり立派になって」
「引っついてた、って……」
カイは恥ずかしそうに頬を掻く。ほかに客もいないため、声量を絞らずに話す二人の会話は、聞きたくなくても耳に入る。
「その服だって、まるで貴族さまみてえじゃねえか」
「久しぶりにアードルフさまに会うからさ。立派なとこ、見せたいなって思って、仕立てたんだ。竜騎士学園に入れたのもアードルフさまのおかげだから。ティモじいも、遠出したくなったらいつでも呼んで。料金半額にしとくからさ」
「おい。そこは、金はいらねえよって言うとこだろうが」
カイの懐かしい笑い声を聞きながら、シュルヴィは読んでいた本を閉じた。棚へ戻す。そして受付台に向かった。先日訪れた際、借りた本を、台に置く。
「貸してくれてありがとう、ティモさん」
シュルヴィは、邸の本棚に竜に関する本を置かないことにしている。六年前、母が竜による事故で亡くなって以来、通していることだ。
いつもならシュルヴィは、返すと同時に別の竜の本を一冊借りていく。ティモが確認した。
「入荷した本は、よろしいのですか?」
「ええ。もう、返しに来られないから」
シュルヴィは、努めて明るい表情を作った。
「ここへ来るのは、最後になるわ。村を発つのは明後日だけど、明日は、部屋の片付けを終わらせてしまう予定だから」
ティモは哀しげに眉尻を下げた。椅子から立ち上がり、本棚に向かうと、入荷した本を持ってくる。
「なら、差し上げます。荷物にまぎれさせてでも、持っていってやってください」
シュルヴィは一瞬躊躇ったが、本を受け取った。
「ティモさん……いままで、ありがとう。本当に」
するとティモの目が、みるみる潤んでいった。涙を隠すように、ティモは手の平で目を覆う。
「お嬢さまが、この村からいなくなるなんて……いつかあるかもしれないと覚悟はしてましたが、やはり、私は心配です。結婚なんて、本当はめでたいことだろうに……なんてったって、お相手が、あの噂の皇弟殿下だっていうんだから」
シュルヴィは、ティモを励ますように微笑した。
「大丈夫よ。悪いことばかりじゃないわ。もう何度も会ってて、人柄もわかっているし。……わたしはきっと、なんとかやっていけるから」
ティモはそれでも、心配そうに眉を歪めていた。シュルヴィは最後まで笑みを絶やさずに、別れを告げた。
書店を出ると、雪が止んでいた。垂れ込めていた厚い雲が薄らぎ、雲間には茜色に染まる空が覗いている。シュルヴィは空を見上げた後、歩き出した。後ろをカイがついてくる。
「驚かないのね。わたしが結婚すること」
軽く振り向きながら話す。
「そりゃまあ……知ってるし」
「あら。伝えたのは三年前だから、すっかり忘れちゃってると思ってた」
カイは押し黙った。怒りがまだ冷めないため、刺々しい言い方をどうしてもやめられない。
「婚儀は、帝都にある豪華絢爛な宮殿で執り行われるのよ。すごいでしょう。もう三日後の話なんだから。村を発つのは、さっきティモさんにも話したけど、明後日。だから、邸であなたと過ごせる時間はほんの少しね。まあ、どうせ大して話すことだって――」
「シュルヴィ。竜に、乗ってみたいだろ?」
話を中断させられた。
「邸までひとっ飛びだぞ。ほら」
そして手を掴まれた。
「ちょ、ちょっと」
強引に手を引かれて、早歩きさせられる。手を繋ぐのは三年ぶりだった。一緒に暮らしていた頃はよく繋いだ。何でもない買い出しの帰り道だったり、山菜を探しに歩いている山の中だったり、初めは、シュルヴィから繋いだと思う。それがいつからか、カイからも繋ぐようになっていた。
会わない間に、手の平が大きくなったなと思った。広場まで戻る。噴水前で休む飛竜へ向け、カイが手を上げた。
「リンドブルム!」
飛行速度が速い碧色の飛竜、流星竜だ。飛竜の中では中型で、二人程度しか乗れない。シュルヴィは普段、四、五人乗れる大型飛竜、翼竜に乗ることが多い。乗るのが初めての竜だった。
促されるまま乗せられて、当然のように、カイはシュルヴィを抱き込むように背後に座る。三年の間のカイの成長は著しい。すっかり身長差もできてしまい、体の筋肉の付き方も男性のものだ。シュルヴィは変に動悸が激しくなった。カイはカイだというのに、不意打ちの再会のせいだろうか。調子が狂う。
すべての竜騎士がそうであるように、カイも、流星竜と心が通い合っているようだった。流星竜を華麗に飛び上がらせる。風でシュルヴィの長い金髪が乱れた。ドレスの裾も翻る。思わず瞼を閉じたが、上空まで上ってしまえば、流れゆく風は穏やかになった。辺りを望めるようになる。
蒼い瞳に映り込んだのは、真っ赤な夕陽だ。正面で、太陽が雪の稜線に沈もうとしている。リーンノール村は四方を雪山に囲まれている。地平の果てには山しかない。
山の端も雪原も、すべてが橙色に染まっていた。つらいことも哀しいことも、悩みもすべて、何もかも、どうでもよくなるくらい美しい景色だった。
遠くの空で、野生の飛竜の親子が黄昏の空を背負い飛んでいる。ここは、竜の大陸だ。大陸に棲息する竜の数は、約一億万頭、種類は確認されているだけでも四百を超える。竜とともに、人は暮らしている。
「最高だろ? シュルヴィは、竜、大好きだもんな」
カイがにっと歯を見せて笑った。親しい人だけに見せる、無邪気で明るい笑い方だ。三年前と変わらない。懐かしい日常が戻ってきたようで、カイがそばにいると、地に足がつく安心感があった。
「……あなたがいなくなって、寂しかったわ。とても」
自然と、意地を張るのがばからしくなった。
「いつから、竜騎士になりたかったの? わたしが竜の話をしても、興味のある素振りなんて、一度も見せなかったじゃない」
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