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まだ食事途中だったが、マルコが別の部屋へシュルヴィを促す。全員で衣装部屋へ移動すると、衣装部屋の中には、等身大の人形に飾られたドレスが五着あった。
「どうかな? どれも、有名な一流仕立屋に作らせたものだよ。この水色のドレスは、背中のリボンの形が妖精みたいだって、ご令嬢の間で人気みたい。僕とシュルヴィちゃんって、歳がちょっと離れてるでしょ? 若い女の子の好みは、やっぱり専門家に訊かなきゃわかんないものだよね……。どうかな、シュルヴィちゃん。どのドレスが一番気に入りそう?」
「すべて、わたくしにはもったいないほど素敵な品ばかりです。ありがとうございます」
シュルヴィが膝を軽く曲げて礼を述べると、マルコは頬を染めて目尻を下げる。
「ふふふっ。いいんだ、お礼なんて。シュルヴィちゃんが喜んでくれれば……――あれ?」
急に、マルコの目の色が変わった。
「桃色のドレスは? その右端にあるのは、黄色じゃないか。もっとかわいい、桃色のドレスを用意しろって、言ってあったはずだろ?」
使用人たちと壁際に並んでいた仕立屋が、真っ青な顔で進み出た。
「も、申し訳ございません、殿下。急な変更だったため、尽力はしたのですが、ドレスの直しが間に合わず」
「はあー? シュルヴィちゃんに、すっごく似合うと思ったのに! 今日用意できなくて、どうするんだよ!」
マルコは激高し、仕立屋に唾を飛ばしながら、「この、役立たず! 役立たず!」と怒鳴る。仕立屋は床に膝をつき、謝罪の言葉を繰り返す。シュルヴィもアードルフも、他の使用人たち同様表情を凍らせ硬直していた。マルコの怒りが収まるのを待つしかない。ヴィルヘルムが、いたわるようにマルコに近づいた。
「マルコ。そんなに怒ると、お前の体に良くないぞ。仕立屋には、私があとできつく言っておこう」
ヴィルヘルムはみなが称賛する皇帝だ。戦後の混乱する各地を治め、政治を安定させた。孤児院の設立にも力を入れ、貧者への配慮も忘れなかった。ただ一つ欠点があるとすれば、弟を盲目的に可愛がっていることだった。
「でも兄上! 僕は、今日が良かったんだよ! シュルヴィちゃんに喜んでもらおうと思ったのに! くそっ、くそっ!」
マルコは床にあった装飾小箱を蹴り飛ばす。場で平然としているのはヴィルヘルムだけだ。
「マルコは本当に健気だな。シュルヴィさんのためを、思っていたのだな」
「そうだよ! でもこれじゃあ、台無しだよっ!」
「シュルヴィさん」
ヴィルヘルムに振り向かれ、シュルヴィは背筋を伸ばす。
「マルコを、安心させてやってはくれないか。マルコは、あなたに愛してもらえないことを恐れているのだ。……手でも握って、落ち着かせてあげて欲しい」
一瞬、迷った。アードルフをちらりと見れば、ただ唇を引き結び、何も言わない。シュルヴィは小さく「はい」と返事をした。マルコのそばに寄り、彼のふっくらとした手に自らの手を重ねる。
「殿下。わたくしは、今日用意してくださったドレスだけで、じゅうぶんに幸せです。殿下の優しいお心遣いを、とてもうれしく思いますわ」
マルコの激情が見る間に収まっていく。
「シュルヴィちゃん……」
重ねた手が、マルコの手に包まれた。手袋越しとはいえ感じてしまう不快感に、シュルヴィは気づかないふりをする。
「ほら、マルコ。今日は、これから歌劇を観るのだろう? 国立劇団を特別に招いている。シュルヴィさんも、楽しみにしているぞ」
「うん、そうだね。行こう、シュルヴィちゃん」
マルコは機嫌を戻し、この日も、いつものように午後を過ごした。邸を辞する時、ヴィルヘルムは毎回シュルヴィへ言う。
「マルコをよろしく頼むよ、シュルヴィさん」
ヴィルヘルムは、いつも穏やかにほほえんでいる。シュルヴィは、癇癪持ちの弟よりも、この兄が怖かった。
翼竜での帰路、アードルフの表情はいつも冴えない。
「すまないな、シュルヴィ」
大好きな竜に乗り空を飛ぶ、素晴らしいひと時だ。雲のない青い空も、耳の横を通り過ぎて行く風も、すべてが心地良い。けれどいつだってシュルヴィの心は、重い鎖に巻かれているようだった。
「お父さまが悪いことなんて、一つもないわ」
そう返しても、アードルフの表情は暗く沈み込むだけだった。
×××
三年ぶりにカイが帰ってきた夜は、ささやかな晩餐会だった。邸に住み込みの使用人はいない。リーンノール伯爵家の歴史は長く、アードルフは九代目の当主だが、世の情勢の変化に上手く対応し切れずいまやすっかり衰退してしまった。村を含むこの辺り一帯の雪山が領地ではあるが、鉱山でもなければ、一日も登れば森林も途切れるような山間だ。農作も難しければ、国中どこでも手に入る木材を、わざわざリーンノール村に買い求めに来る者もいない。収入となる資源は望めない。
毎日、雇っている家政婦が一人来て、掃除をして食事を作り、夕方には帰る。小さな邸だからそれで事足りる。作られた料理と、追加で簡単に用意したものだけが今夜の晩餐の品だった。普段は二人きりの食事は、カイが増え、久しぶりに賑やかだった。
アードルフに就寝の挨拶をし、シュルヴィとカイは各々の部屋へ向かう。廊下の途中、カイが小部屋の一つの有り様を目にし、声を上げた。
「うわ。もしかしてこれ、全部皇弟からの贈り物か?」
部屋には、窓から射す月光に照らされた大量の装飾箱があった。箱からは、ドレスや靴、宝飾等が溢れ返って飛び出ている。シュルヴィは扉際で立ち止まり、カイを後ろから眺める。
「宝石、ぜんぜん手ぇつけてなくないか? ドレスも、袖通した気配、まったくないけど」
「それは、ほら……かわいい作りのドレスが、多いから。わたし、縁飾りがたくさん重なったドレスは、あまり好きじゃないし」
「本当は、好きでもない奴から贈られたドレスなんて、あまり着たくないんだろ」
図星を指された。返しが一拍遅れる。
「だから、違うったら。結婚する相手よ? 三年かけて、わたしの覚悟はばっちり」
「……ばっちり、ね」
シュルヴィは、気づかれないように静かに息を吐き出した。箱の中身をまだ確認しているカイヘ、呼びかける。
「ねえ、カイ」
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