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思わず自分から出た言葉に驚き、口元に手を当てたが既に遅し。
その男性は小さくなって自分の袖で濡れたスカートを拭いた。
「本当にごめんなさい」
男性が言ったその言葉を聞いて、我に返った私は二、三歩下がるとその場へへたり込んでしまった。
男性が駆け寄ると、私を道の端へ移動させた。
「大丈夫ですか? 具合悪いですか?」
考えもしなかった出来事と自分から出た暴言とが重なって、私の張り詰めた糸がプツリと切れた。
「大丈夫、です」
それだけを言うので精一杯。
ゆっくり立ち上がると再びヨロヨロとビルに向かって歩き始める。
「待ってください。あの、スマホを。えっと、あと、クリーニング代払います」
入り口の階段をひとつ登り、ふたつ登り。
すると男性は私の腕を掴んで呼び止めた。
「スマホを。あと名刺を渡しますから連絡下さい」
画面の割れたスマホと名刺を握らされて、その男性と別れた。
朝からついていない私。事故なんだろうけど、ここまでズタボロになったのは初めてだ。泣きっ面に蜂とはこの事なんだろうな。
そしてその日はまともな仕事が出来ないまま、終業時刻を迎えた。
ビルから出ると既に日は落ちていた。街のイルミネーションが煌びやに揺れながら、私に遊ぼうよと誘っているようでため息が出る。
「今日も用事は無いから直帰です」
ボソリと言うと誰かが声を掛けてきた。
「すみません」
振り向くと朝のドタバタ劇の男性だ。
何故だか息を切らせていて、手をパンパンと払っている。そしてピアスを指で弾くように触ると話し始めた。
「あの、今朝はご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「はぁ」
「元気そうで良かった」
ここで思い出した。私が言ったあの暴言。
「あの、こちらこそ、ごめんなさい。凄いこと言っちゃって、あの、別にアメリカとか全然関係なくて、その」
全く私の言っている事は会話になっていない。男性は笑っていた。
「大丈夫です。ぶつかった俺が悪いんだから。スマホ、大丈夫ですか?」
「えっ、あっ、スマホ?」
ポケットから取り出すと名刺も一緒に出てきた。
「名刺いただいてましたね、忘れてました」
「弁償させて下さい。それとスカートを汚してしまったのでそれも一緒に」
朝は気付かなかったがこの男性、身長がかなりある。私が見上げてしまうくらい高かった。
「でも」
「弁償するのは当然です。その為に出てくるのを待ってたんですから」
「ヘ?」
「実は別れた後、またここに引き返してきたんです。このままじゃ良くないと思って。
それに顔色が悪かったから大丈夫かなって気になっちゃって。もしかしたら早退とかあるかなって思って、ここで待ってました。
でも元気そうで良かった」
「そうだったんですね」
どうやら朝から今の今まで、この寒空の下で私の事を待っていたらしい。
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