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オーナーとそんな話をして俺の中で何かが変わった。何が変わった分からないが、今までとは違う何かが自分の中で疼きはじめた。
そして店では何も買わずに飛び出すと健太の所へ急いだ。
「健太いる?」
美容室のドアを勢い良く開けると、俺の目は泳ぐように健太を探す。
「どうしたんッスか宗祐さん」
「やっぱシルバーがいい。染めてくれ」
「急にどうしたんッスか?」
「ダメなら自分でやる」
そこへ店のオーナーが出てきて俺をハグして捕まえる。
「宗祐ぇー! よく来てくれたなぁー!」
そんな歓迎よりもシルバーの方が先だと言わんばかりに髪染めをあさる俺。
「宗祐さん、そんなに急ぎなんッスか?」
「急ぎではない。俺の気持が急いでるだけだ」
「僕がやりますから宗祐さんは座ってて下さい」
居ても立ってもいられない俺は、自分で襟元にタオルを巻き刷毛やカップを用意する。棚からブリーチ剤やカラー液を取って健太のワゴンに並べた。
その一部始終を見ていたオーナーが微笑ましいような顔で言った。
「宗祐。今日だけその椅子貸してやるよ。だから好きに使え。気の済むまでやってみろ」
「ありがとうございます」
こうして俺は、健太の場所を使って髪染めを始めた。
ブリーチ剤のツンとする匂い。久し振りだが嫌いじゃない。刷毛で混ぜるとネットリする感じに、カップの縁でしごく音。それ等はどれも俺の中で、出来ない事だと押しつけてしまっていた感情を爆発させる。
あれだけ気にしていた左手も多少おぼつかな部分はあるが、体の動きにつられて次のジェスチャーを待っている。
「何なんだよ」
勝手に動き出す左手を落ち着かせるように言ってみる。そんな手の動きのギャップに驚きを隠せない。
今までの俺は、自分の事を障害持ちだと決めつけて何もしようとしなかった。それに挑戦しようともしなかった。それらが波消しブロックの様になって、やる気と言う波を粉々に潰していたのだろう。
出来てるじゃん。今まで被害者ぶってた俺、恥ずかしい。
隣でオーナーが何か言っているがそんな事は全く耳に入ってこない。
そして怒濤の勢いで一度目のブリーチを塗り終わる。
「さすがだなぁ宗祐。ブランクがあるとは思えないなぁ」
この待ち時間さえも惜しいと思ってしまう。
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