地獄の門

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 手捌きが上手くいかなかったことにイラつく。これは怪我のせいだけではなく、今までの遅れを取り戻したくて気持が焦りすぎていたのは確かだ。  それにこんな少しの短縮で今までの遅れを取り戻せるとは到底思ってはいないない。とにかく今は時間を無駄にしたくなかった。  シャンプー台に頭を突っ込み、自分でブリーチ剤を洗い流す。間髪無く二回目のブリーチ開始。  また、この放置時間も勿体なく感じる。  俺は健太のワゴンから眉ハサミを取って整え始める。 「宗祐さん落ち着いて。そんなに急ぐと麻呂眉になっちゃいますよ」  ふとその言葉で我に返った。 「だよな」  落ち着け自分、みっともないぞ。後輩に注意されて動きが止まった。 「宗祐さん、カラーは僕がやりますから」  なんて可愛い奴なんだ。  美容室は何一つ変わってはいなかった。従業員が入れ替わっただけで俺からしたらいつもの日常だ。何不自由なく動ける動線、店の明かり、美容室独特のニオイまでもが俺の意識を覚醒させる。  新しい自分で生きていく覚悟は出来た。その中で要る物要らない物を選別したときに残った物が俺のシルバーだった。これを捨てたら俺じゃ無いと思いここへ駆け込んだ。  手が不自由だからカラーはしないじゃなくて、俺はシルバーだから染めるんだ、下手くそでも染めてやるんだ、そんな勢いでここ来た。  ブリーチの仕上がりが見えてきた頃になると俺の気持もだいぶ落ち着いてきた。健太にシャンプー台でブリーチ剤を流してもらう。 「宗祐さん、戻ってきてくれたんですね?」  健太の顔は見えないが、その言い方は哀愁が漂っていた。  フェイスガーゼを勢い良く吹き飛ばすと、目を潤ませた健太と目が合った。 「健太、俺のこと待っててくれたのか?」 「大好きな先輩ですから」  新しいフェイスガーゼを再び俺の顔に乗せる。健太の泣いた顔が見たくてまた吹き飛ばす。 「宗祐さん、だから!」  俺が健太のカットモデルになったときも、こうやってからかってやった。あの時は凄く困っていて、下唇を噛みしめて泣きそうだった。  でも今回は嬉しさ半分、迷惑半分ってところかな。  カットチェアーに座り鏡に映った自分を見る。 「良い感じじゃん」  色の抜け具合も肩幅も胸板の厚さも、前の俺とは全くの別人だ。 「暗めのシルバーにしてくれ」  少しだけカラーを変えてみることにした。  ここからは少し落ち着いた男を装って行こうかな、なんて考えてみた。
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