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後任
以前働いていた店に戻ることができた宗祐は、元々の顧客も戻り始めて楽しく仕事が出来ているようだ。まだ客の髪を切ることは出来ないが、段々といつもの日常が戻ってきている。そんな中、私はお互いの現実に直面する事となる。
パソコンを前に仕事を開始してばらくすると上司に呼ばれた。
「双葉君、ちょっといいかな」
上司は渋い顔で私を見ると重い口を開く。
「今から本社に行ってもらいたい。風皆野社長が双葉君をお待ちだそうだ」
「え?」
風皆野社長は宗祐の父親だ。私は宗祐のご家族に挨拶はしていない。半同棲ではあるが結婚なんてそこまでは考えていなかった。
「粗相の無いように頼むよ」
そう念を押された。仕事中に呼び出された私は少し戸惑った。仕事の件なのか宗祐の件なのか。いずれにしても真面目な話には変わりないと緊張が走る。
この本社へは入社後の研修を受けたきりでそれ以後は来たことがない。見上げるその建物は、胸を躍らせて足を運んだあの時の足取りとはまるで別物。今の私は、目隠しをされて重い足枷を引きずる囚人のようだ。
受付を済ませると社長室に連れて行かれる。そこはドラマで見るような立派な応接室ではなく、こじんまりとした部屋だった。ソファに座るのと同時に社長が入ってきた。
それに気付いた私は、直ぐに立ち上がり社長に頭を下げる。
「いいんだよ、座って下さい。急にお呼び立てして申し訳なかったね」
そんな社長は周りの人が愚痴をこぼすほど嫌みな人ではなさそうだ。とても気さくな感じで身形は宗祐にそっくり。
「今日は双葉さんとお話がしたくて来てもらったんです。仕事の話と、出来ればプライベートの話と」
「仕事の話ですか?」
「先ずは順を追って行きましょうか。
双葉さんは宗祐とお付き合いされてると聞いてます。怪我をした時、随分と面倒を見ていただいた様で本当に感謝しています。宗祐と私はもう何年も会っていないし、連絡も取り合っていないので」
そう言われて頷くしかない私。疎遠の話は聞いていたが本当だったんだ。
「宗祐の怪我も良くなって前の職場に復帰できたようで、一安心していたところだったんだよ。
そこでね、こちらから少し双葉さんに提案があるんだ」
「なんでしょうか」
「宗祐には結婚させたい相手が居てね。その相手の方とそんな話をしていて、近々お披露目をする予定ではいるんだよ」
私の恋愛は終わったと、この時思った。
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