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宗祐は私をハイチェアに座らせるとケープを掛けた。ぎこちない手つきで髪をとかし始める。
そこには美容室みたいな大きな鏡はない。宗祐が私だけを見てカットを始める。
初めて髪を触られた時の事を思いだした。背景が見えないくらいに近い距離で手櫛をされたあの感覚。そして宗祐のこの香り。
何一つ変わっていない宗祐を嫌いになろうとしたのはこの私。
そして宗祐の指が私の肌に触れる度に、心臓を握られたように苦しくなって切なくなる。
ごめんなさい。
宗祐と別れるために謝ったのか、別れようとした事に謝ったのか。私の気持ちが揺らぎすぎて自分自身を見失っている。
ごめんなさい。
それにはどんな意味があるのかはわからない。その言葉が頭の中で渦を巻く。
長かった髪が全て切り落とされて、私を拘束していた枷が外れた。
これでやっと自由になれた。
宗祐は下唇を噛みながら真剣にカットをする。左手が上手く動かない分、右手を使って施術する。
確かに時間はかかるだろうが、これだけ出来ればスタイリストとして復帰できるのでは無いかと安堵する。
何かの映画にあったな。好意を寄せた人に書いてもらう自分の体。私はその映画の主人公のヌードモデルになった気分だった。
その真剣な眼差し。体の隅々まで見られているようで、気持まで見透かされているようで恥ずかしくなった。
宗祐は私の前に回り込み、正面から左右の長さを確認する。恥ずかしくなって目を瞑って俯いた。
宗祐は顎をクイッと上げるとキスをしてきた。
「目を瞑ったらキスだよ」
そうだ、思い出した。初めての美容室でそんな話しをしたっけ。『双葉ちゃん。目を瞑ったらキスされちゃうよ』
色んな事がフラッシュバックして涙が溢れた。それは悲しい涙なのか嬉しい涙なのか。
「双葉、泣かないで」
頭を平行に直すと、宗祐はおでことおでこをくっつけた。
「俺、上達したでしょ? 双葉を可愛いショートにするから。だから待ってて」
私は涙でグショグショになりながら頷いた。
そろそろ終盤。ドライヤーをかけて整える。おおかた髪を落とすと手櫛でフンワリと毛先を丸める。髪の中まで風が通る感じが新鮮だった。
髪を払いケープを外す。私の前に立った宗祐は手を差し出した。
「はい」
意味がわからなかった私は首を傾げる。
「え?」
「手」
全く意味がわからない。
「鏡は無いけど、鏡の前に立てるようになったら続きをしよう。そう言ったよね?」
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