コートと彼女

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 年の瀬も近いというのに、彼女が薄手のトレンチコートを引っかけただけの姿で待ち合わせ場所に現れたので、彼はいたく驚いた。 「忙しくて、全然寒さを感じないんだもの」  予約していたレストランで、彼女はワインを飲みながら言った。 「会社の業績が良くないから、街じゅうのビルに営業をかけなきゃならないの。常に歩きっぱなし。きょうは六件もはしごしたのよ」 「君は働き過ぎているね」  彼は白身魚を切る手を止めて、眉をひそめた。 「ひと月ぶりに会ったのに、もう仕事の話をしているし」  二人は夕食を終えると、街灯の下を寄り添って歩いた。彼は彼女の冷えた肩を抱き、しきりに心配したが、彼女はまったく平気な顔をしていた。 「君が心配だ。ずっとそばにいられたらいいのに」 「それは無理。あなたにはあなたの仕事があるもの」 「冷たいことを言うなあ。ぼくのことなんて、どうも思ってないみたいだ」 「そんなことない。わかってるでしょう」 「わからないよ。君は雪女みたいな人だから」 「あらあら。あなたを安心させるには、どうしたらいいのかな?」  彼女は向き直り、彼を抱きしめた。彼は彼女の髪を撫でていたが、やがて言った。 「君が、いつかどこかに行ってしまうかと思うと怖い。そういえば、おとぎ話の中で変身が解けて去ってしまうのはいつも女だね。男は置いていかれてばかりだ」  それからしばらく、彼から彼女への連絡が途絶えた。こちらから連絡しても返事がないので、彼女は気をもんだ。  久しぶりに彼からの連絡が来ると、彼女は薄いブラウス一枚で家を飛び出した。彼はアパートのすぐそばに、うなだれて立っていた。 「ぼくは弱虫なんだ」  そう言う彼は、ひどくやせていた。体調をくずしているのは間違いなかった。 「ぼくは、君の愛情をどうしても疑ってしまう。ひどいやつなんだ」 「あなた、病人みたい」  彼女は彼の骨ばった手を引いて、部屋に連れて帰った。年末の冷たい夜に、彼の指は焼けた釘のように熱く、こわばっていた。  彼女は彼を座らせると、台所へ向かった。 「お粥を作るから。少しでも食べて、薬を飲んでね」  あわただしく動き回る彼女を、彼は熱に浮かされた目で見つめた。  やがてお粥ができたが、彼は二口ほど食べると疲れてしまった。解熱剤を飲ませたあと、彼女は彼をベッドに押し込んだ。  彼は布団の隙間から顔を覗かせて言った。 「ぼくは君を包み込んで、暖めてあげたかった。これじゃあまるであべこべだね」 「いいのよ」  彼女は、冷たい指を彼の燃えるような額に当てた。もしかしたら重病かもしれない、と思った。 「明日、熱が下がらないようなら病院に行きましょう」 「そうはならないよ」 「どういうこと? そうはならないって」 「特に意味はないんだ。ねえ、君はぼくを愛してくれているかい?」 「もちろん愛してる。世界で一番好きよ」
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