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第一章『市後大福』
彼の名前は市後大福。
歳は四十代も半ばにさしかかった。
名前はちょっとだけ特徴的だが、パッと見はどこにでもいるようないたって普通のオジサン。
ただ一つ普通の人と大きく違うことといえば
「ねぇ、組長。話聞いてます?」
「ん?あぁ、悪い。聞いてなかった」
「も~、ちゃんと聞いといて下さいよ」
目の前の少年・ナオはそう言うと市後の隣にいる上島に話し掛けた。
そう、違うこととは『組長』と呼ばれていること。
正確には元組長なのだが。
今は趣味相談所の所長という立派な肩書きがあるのだが、昔を知る者達からは未だに『組長』と呼ばれている。
本人もそう呼ばれ慣れてしまっている為、今更訂正する気も起きない。
「んじゃ、そろそろ行くか」
ナオは一緒に来ていたトモに話し掛けた。
「そうね。だいぶ時間も潰せたし」
トモは目を通していたファイルを閉じると立ち上がった。
予定まで時間があった為、それを潰す為に二人は相談所に来ていた。
「で、どこに行くんだ?」
「も~、さっき言ったのにやっぱり聞いてなかったんすね」
ナオに指摘されて苦笑いの市後。
「隣町に美味しいパン屋さんができたんですよ。今から行ったらちょうど焼き立てにありつけるかなって」
トモは既にゲットできたかのように嬉しそう。
「別にパンはパンだからいつ行ってもいいとは思うんすけどね」
「ダメよ。パンは焼き立てが一番なの」
ナオに本気で注意するトモ。
「分かる、分かるぞ~トモ。やっぱパンは焼き立てだよなぁ。できることならおいらも行きてぇよぉ」
奥の方から近付いて来ながら悔しい表情で寺門が同意する。
「そんな食いたいなら車で送ってやったらどうだ?」
上島が提案する。
「おっ、それいいな。・・・あっ、でもまだ仕事が」
「なら代わりに私が送ってやろう。寺門にはついでにお土産買ってきてやるよ」
「マジすか?組長あざーす」
寺門のテンションが激上がり。
「いや、そんな悪いですよ。お仕事の邪魔しちゃ」
トモが遠慮する。
「大丈夫だ。ちょうど手が空いたところだし、もう少ししたら肥後も戻ってくるだろうから」
「でも・・・」
「せっかく組長がこう言ってくれてるんだし、甘えようぜ」
トモがまだ渋ろうとするのをおさえ、ナオは乗り気だ。
楽に行ける上に電車代も浮くのだから文句のつけようがない。
「ん~、それじゃあお言葉に甘えて」
トモも応じたことで、市後に車で送ってもらうことに決定。
「じゃあ、お前らあとは任せたぞ」
「はい。組長お土産くれぐれもお忘れなく」
三人が相談所を出て行ってしばらくすると出掛けていた肥後が戻ってきた。
「兄貴、おかえりなさい」
「おう。あれっ、組長はどうした?」
肥後が市後の姿が見当たらないことに気付く。
「組長ならパン屋に行きやしたよ」
「パン屋?」
「へい」
上島が事情を説明していると、肥後の表情がみるみる変わっていく。
「マジか・・・」
「兄貴、どうかしたんすか?もしかしてお土産のパン何か希望ありました?」
「バカ!そんなんじゃねぇよ」
寺門の的外れな問いに肥後が一喝。
「あいつらには悪いことしたな」
肥後の言葉に頭を傾げる寺門と上島であった。
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