(ホラー)食人男の過去

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(ホラー)食人男の過去

★本編  刑事が扉を開けると、食人をして死体損壊罪の容疑にかけられている男がいた。 「やっと来ましたか。聞いてくださいよ、こいつ、まだ口を割らないんですよ」  男の様子を見る間もなく、部下が視界に入っていく。部下が文句を言っている間、男は机に視線を向けるだけだった。刑事は部下を椅子から立たせ、扉付近まで移動させる。 「どうせ、お前のことだから『人食い殺人鬼』とかなんだって言ったんじゃないのか?」 「だって、交際相手の証言やら証拠でやったってことは明白ですし」  小声で話し合うと、刑事は部下を自分の後ろへ立たせた。 「それが事実だとしても、そんな言い方する奴に心なんて開かないだろ」  呆れつつも刑事は男の目の前に座り、様子を窺う。鴉のように黒くうねった長髪に白い肌と高い鼻。黒い衣服には乱れもないし、顔立ちも整っていた。『人食い殺人鬼』という言葉は似合わない、とよぎりつつも刑事は話しかける。 「先ほどは部下が失礼なことをした。だが、何一つ話してくれないというのもこちらとしては困る。それに、隠していても辛いだけだろう。吐いた方が楽になる」  刑事は軽く頭を下げつつ、穏やかな声色で言った。机1つと椅子が2脚だけの狭い無機質な空間で時計の針の音だけが響く。男は初めて視線を刑事たちに向けた。 「正直に話して良いことなんてなかった。腹に隠している方がマシだ」  再び視線を落とし目を伏せる姿は悲壮感を漂わせる。刑事はますます違和感を覚えながらも資料に目を通した。  名はタテハラ ナオト。職業はレストランの若き料理長。しかも、誰もが知る三つ星レストランだった。美食とは相対する行動をなぜとったのか。 「資料を見る限りだと、羨ましいくらいの順風満帆ぶりじゃないか。それなのに、どうして?」  刑事はつい身を乗り出し問いかける。すると、ナオトはそんなことはない、と首を振った。 「今思えば、腹から出てくることさえ間違っていたかもしれないな」  ナオトが物心つくときに覚えたのは「正直に伝えることは損」ということだった。  幼いナオトが夕食のスープを一口食べる。人参は固いのに、キャベツはくたくたでスープそのものも塩水を飲んでいるようだった。 「まずい」  と口にすると隣に座っていた母の平手が飛んでくる。勢いのあまり椅子から倒れ、あとから落ちてきた皿が当たりスープまみれになった。 「そんなはずないでしょ。だって、私はあの人の」  濡れたナオトに母は震えながら怒号を浴びせる。その怒号は二人しか住んでいない屋敷に反響した。その屋敷はナオトの父である「ツルギヅカ」が与えたものだった。  「ツルギヅカ」もまた高級レストランの料理長だった。母とはそこで出会い、短い時間ながらも深く愛しあった。だが、ナオトを妊娠すると高額な金と屋敷を渡し、別れることを告げた。父は既婚者であり、ナオトの母は不倫相手にすぎなかったのだ。  別の日も、母は多くのレシピ本を開き、食材を鍋やフライパンに入れていく。だが、レシピ本に目を通すことはなく、食材も溢れているような状態だった。 「やっぱり料理もできなくちゃ。彼の妻ですもの、当然でしょ」  キッチンでぶつぶつと呟く母を見て幼少期のナオトは育った。  母の気分はよく変わり、どうしてあんなことしたの、とナオトに泣いてすがることもあれば寝ているナオトの耳や首筋に口づけ、抱き締めることもあった。変わりやすい母に抵抗できないとナオトは言うことを聞くしかなく、吐きそうな料理も食べざるを得なかった。  父親譲りの黒髪と白い肌、高い鼻に母はいつしかナオトを「ツルギヅガ」のようにと金を積んで教育を受けさせた。勉学だけでなく料理についても習い、屋敷でほとんど過ごす母に監視されている状態だった。  ドアのない子ども部屋を背に母親は料理を作っていた。ナオトの両脇にはいくつもの参考書や辞書が塔のように経っている。鉛筆を走らせながらも、背後にいる母を気にした。そのうち母がキッチンから離れ別の部屋に向かうと、ナオトは引き出しを開ける。中の仕切りには一羽のスズメが留まっていた。ひとさし指を立て、しぃーと呟くとスズメの頭を撫でる。 「良い子だね、チャコ」  チャコは少し前に偶然助けたスズメだった。屋敷の庭で動かなくなっていたのを拾い、引き出しの中でこっそり飼っていたのだ。ナオトは学校から持ち帰った僅かなパンの切れを千切ってチャコに差し出す。チャコはツンツンと小さな口でついばみ、その様子にナオトが微笑みを浮かべた。しかし、癒しの時間も母親の足音でなくなってしまう。部屋に入ってくる、と察したナオトは半ば乱暴に引き出しを閉めてしまった。その直後、肩を落とした母が部屋に入ってくる。頭を掻きむしり、顔には大量の汗と涙が貼り付いていた。 「テレビにあの人の名前が。でも、おかしい。なんで車が。レストランに。そんなはず、ない」  よぎった言葉を次々と漏らす母にナオトは首を傾げる。そんな彼は一瞬で母親に突き飛ばされた。ナオトは机にぶつかり、積み重なっていた本がぐらつく。 「あの人が大変なときになんでそんな呑気なのよ。絶対何かの間違いに決まってる」  母はよろけながら部屋を出た。その直後に庭で足音が聞こえ、母が出て行くのが見えた。ナオトが傷みで背中をさする中、引き出しからばたつく音がする。 「チャコ、ごめん。大丈夫?」  先ほどの衝撃で驚かせたかもしれない。慌ててナオトが引き出しを開けると案の定、チャコが飛び出した。チャコは混乱したように窓に向かってを飛び上がり、それをナオトが追いかける。 「チャコ。危ないから」  窓は閉まっていたが、物があるから危険だとチャコに向けて手を伸ばした。そのとき、肘が積まれた本に接触し傾き始める。止めようとナオトが本を持ったが、間に合わず倒れていく。チャコも窓から出られないと引き出しへ戻っていた。そして、いつもの仕切りへ止まった瞬間、そこに何冊もの本が突っ込んでいく。木で出来た仕切りが折れる音がして、その上に重い本が積み重なっていく。ナオト自身は咄嗟に掴んだ本を握ったまま、引き出しに本が雪崩れていくを見ているしかできなかった。  音が止むと我に返り、ナオトは積み重なった本を降ろしていった。そのうちに角張った本ではない丸い茶色い塊が見つかる。僅かに平たくなったそれは柔らかい感触を残したまま動かなくなっていた。 「ごめんね、チャコ」  ナオトは涙で頬を濡らしながら、その手でチャコを包む。親指で頭の部分を撫でていたが、物音がして再び両手で隠した。母が帰ってきたのだ。しかも、何かわめきながら破壊するような音がする。先ほどの本が崩れたときよりも大きな音に身体が跳ねた。ナオトの部屋とキッチンは2階にあり、様子は分からない。それでも、物音から母の状態を察し、ナオトは青ざめる。ふと、手に包み込んだチャコに視線が向く。 「チャコ、どうしよう」  辺りを見回すと隠せそうな場所はいくつかあった。引き出し、箱、袋。だが、ナオトには不安が残る。今のおかしくなった母親はなにをするか分からない。頭によぎったのは何かを探すようにあらゆる場所を開けたり、庭を掘り返す母だった。  見つかれば母はまた自分を痛めつける。それ以上にチャコをぞんざいに扱われるのは嫌だ。ナオトは自分の部屋から出ると、キッチンを見回す。  母親に絶対バレない場所。  ナオトの視線に入ったのは、食材の乗ったテーブルだった。まな板の上には切っている途中の鶏肉が置いてある。熱を通す前の鶏もも肉は臓物がそのままあるように見えた。 「そうだ」  周囲を確認すると、ナオトは鶏もも肉の隣にスズメを置く。そして、隣にあった包丁を握りしめた。   つづく
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