急襲

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――本気で、奪おうとは、思っていなかったのかもしれない――  自暴自棄になっていなかったとは、言い切れなかった。  死んだ男(アッラシード)に心のすべてをもっていかれた姫君が、自分を見ることなどないのは、よくわかっていた。  それでも、もう一度だけ会いたいとの思いが、止められなかったのだ。  軽すぎる身体を抱えて岩場に戻る。待たせていた馬に飛び乗って、後ろも見ずに走り出した。  姫君がいる以上、矢を射かけることはできない。砂漠越え直後で馬も調達できていない。追いつかれる心配は、万が一にもなかった。  砂漠と沙漠の狭間を、夜を縫うように駆けて向かったのは、彼女が目指していた月の名で呼ばれる国。  あらかじめ話を通してあった隊商宿の、目立たぬ一室に彼女を抱えてすべりこむ。  どうかすると、本当に人なのか怪しいほどに軽く感じた彼女を包む布を、このときようやく取り去った。  煌々とした月明かりの下、現れたのは、見間違えようもない銀の髪。旅の疲れや食欲不振のせいか、目元ははっきりと落ちくぼんでおり、頬はこけていた。  瞼は閉ざされている。  覚悟はしていたが、あまりのやつれぶりに絶句してしまった。  かき抱いては骨を潰してしまうのではと危ぶみながら、両手で抱え直す。じんわりとした温もりを腕に感じて、それでも彼女はまだ生きているのだと気付く。  あのうつくしかったひとをここまで苛んだ、春一番の砂嵐よりも激しい運命を憎んで、男は小さく呟いた。 「イシス……。もっと早く迎えに行きたかった」  * * *
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