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彼女の精神の安定は、アッラシードが支えている。
正確には、彼女がアッラシードだと信じている存在が、だ。
そして、彼女の記憶がその死で途絶えておらず、今目の前にいる男が彼だと信じる限り、彼女のそのときの行為は別段「はしたないこと」ではない。
太陽の国の最後の王と、月の国の姫。死に引き裂かれ、儚く終わりを迎えた二人の間に子どもはなかったが、その相思相愛ぶりは誰もが認めるところであった。
(俺は兄上じゃない。兄上が死に、国が戦によって滅び、祖国へと帰る途中のあなたを力づくで奪っただけの男だ。あなたをこの腕に抱くわけには)
頭ではわかっていた。
拒むべきなのだと。
彼女がいつ正気を取り戻すかもわからないのだ。自分が交わった相手が最愛の夫ではないと知ったら、今度こそ壊れた心を絶望の淵から呼び起こすことはできないかもしれない。
その一方で。
胸の奥底で囁く声がある。
その為に、奪ったのだろう。彼女を月の国の王宮へと帰さなかったのは、手に入れたかったからなのだろう、と。
アッラシードはすでに死んで彼女は未亡人なのだ。新たな相手を見つけても咎められる筋合いは、さほどない。
彼女がただの姫君ならば。
普通ではないのだ。
彼女は予言の姫君。選んだ相手を「覇王」にするという。
(だが、アッラシードは戦に破れて死んだ。予言は外れた。このひとは、いまやただの姫君のはず。ならば、望むことをしても)
それがこの人の癒しになるのならば――。
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