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 八岐大蛇は不気味に押し黙った。何を考えているのか全く推し量れない。そもそも神には正義も悪もない。道理が通じるものでもない。有り体に云えば、すべてその場の気分次第なのだ。 「重ねて申し上げます。私は決して主様に害意のある者ではございません」  八岐大蛇にしてみれば、目の前にいる者を生かすも殺すも、明確な理由があるわけではない。生かすと思えば生かすし、殺すと思えば殺すだけのことだ。取り引きなどが出来る相手ではない。獺に出来る事は、懇願する事のみだった。 「早々に立ち去ります故、何卒、お目こぼしを」  人間の世界で罪科に問われたと言ったな。何をやった? 「表向きは人を(たぶらか)した罪、その実は人殺しの罪でございます」  ただの人殺し程度で、自ら獣の姿に身を貶めるものか。誰を殺した? 「天皇を一人、大臣を一人」  八岐大蛇の赤い眼が一瞬輝いたように見えた。心なしか口角が弛んだようにも思えた。  何故だ? 「主人の仇なれば、私怨でございます」  面白い奴よ。運が良ければ生かしてやろう。  獺の正面にあった八岐大蛇の頭の一つが、小刻みに震え出した。赤い眼が黄色に変化し、喉が大きく膨らんだかと思うと、突如、裂けるように開かれた口から夥しい瘴気(しょうき)が吐き出された。  獺は瘴気に触れて瞬時に人間の姿を失い、またその圧力で虚空に弾き飛ばされた。
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