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通訳の件を高く評価された元利麻呂は、唐の山東半島に派遣され、張保皐の羅唐貿易に従事するようになった。彼はそこでも瞬く間に唐語を身に付け、大いに貢献した。
張保皐は元利麻呂の英敏さを気に入り、いずれは自身の片腕に育て上げる気でいた。
承和三年(836年)、日本朝廷は突如、壱岐島の防備を強化し、新羅人の往来を制限する構えを見せた。加えて、近く三十年ぶりとなる遣唐使の派遣を行うとの情報もあった。
張保皐は日本の情勢を探る為、元利麻呂に帰国を命じた。
折しも日本へ帰還する遣新羅使節があったことから、使節の長官である紀三津に引き合わせた。紀三津は少年ながら倭唐羅の三ヵ国語を自在に操る元利麻呂を気に入り、一緒に帰国させることに同意した。
こうして再び故国の土を踏むことになった元利麻呂は十五歳になっていた。その傍らにはすでに愛人となる女性もいた。名を徐阿尼という異邦人で、年齢は元利麻呂より随分上のように見えたが、男の目を惹き付ける妖艶な空気を身に纏っていた。特に、常に潤んだような瞳には、そこはかとない愁いと儚さを宿していて、見つめられて虜にならない男は稀だった。
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