紀 夏井

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紀 夏井

 では、もう一人の男児について語ろう。  名は(きの)夏井(なつい)。平安京に生を受けた。父親の善岑(よしみね)は名門豪族 紀氏の直系、母親は古代豪族 蘇我氏直系の血筋である石川氏の出身。世が世であれば毛並みの良さは出色だが、時代は藤原氏が大いに権勢を伸ばしつつある時勢の中、将来は決して安泰とは言い難い状況にあった。さらに付け加えるなら、夏井の生まれた紀氏は、名門とはいえ時流に乗れず、当時すでに斜陽の一族に成り下がっていた為、本人の実力次第では貴族の地位すら維持できない可能性があった。  紀氏の衰勢は、夏井の曾祖父の代から始まった。曾祖父の古佐美(こさみ)は武人として桓武天皇の信頼を得ていたが、蝦夷討伐に際して敵将アテルイに歴史的大敗北を喫してしまった。武芸の家としては再起不能の汚点を残したものの、古佐美はなかなかの人物だったようで、晩年は皇太子(後の平城天皇)の教育を任され、また議政官としても手腕を振るって大納言に至り、一時期は公卿の首班を務めるなどして、辛うじて名門豪族の面目をほどこした。  古佐美の子、つまり夏井の祖父にあたる広浜(ひろはま)は武人ではなく、行政官として人生を歩んだ。学問の才があり、非常に学識の優れた人物として大学頭も務めた。晩年に至って参議に任じられ公卿に列したが、夏井が生まれる三年前に他界してしまった。
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