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夏井の父親である善岑は、その父広浜を亡くした時、いまだ若輩者だったが、蔵人として天皇時代の嵯峨上皇に近侍していた経験があった。カリスマとして巨大な存在感を持つ彼の信頼を得ていたことで、順調な出世が見込まれていた。将来的には公卿に列して名門の面目を保つことも不可能ではなかった。
しかしそれは、子々孫々の将来を保証するほどのものではない。
善岑は、紀氏の未来を託す為、自身の子供に対する教育には非常に心を砕いた。
彼は夏井を早くから自身の後継者と定めていた。夏井は三男だったが、幼い頃から聡明さを感じさせる子供だったからだ。読書させれば瞬く間に異母兄を追い抜き、文字を書かせれば筆の運びに非凡な才能を見せた。加えて体格も優れていて、同年代の子供より常に頭ひとつ抜けていた。才色兼備であれば出世は難しくない。ただし、良い環境(人脈)を得ることが条件になってくる。
なるべく早いうちに権力者の目に止まることが肝心だと善岑は考えていた。
そして、その機会は幸運にも善岑親子の前に訪れた。
当時の皇太子である恒貞親王は書を好み、また非凡な才能を持っていた。それを知った仁明天皇が、彼の素質を伸ばしてやりたいと、能書(書の達人)で有名な元東宮学士(皇太子の家庭教師)の小野篁に筆法の教授を命じた。天皇と皇太子の関係は、伯父と甥だったが、天皇と皇太子の母親は双子の兄妹ということもあって、普通よりも親近の情が深かい。それを知っていた篁は快諾するが、ひとつの提案を行った。
一人で学ぶより学友がいた方が励みになるし、上達も早い。皇太子と数人の学友を含めた教授所を作ってはどうか、と。
果たして仁明天皇の許可がおり、篁は教授所〈授文堂〉を設立し、同時に皇太子の学友となる子供を募ることになった。
その話を聞いて善岑は、好機到来と欣喜した。
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