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当時、日本には二人の上皇と一人の天皇がいた。もっとも影響力を持っていたのは嵯峨に隠居する嵯峨上皇で、平安京に住む淳和上皇は嵯峨の弟、今上の仁明天皇は嵯峨の子である。
皇太子の恒貞親王は、淳和上皇を父親、仁明天皇の双子の妹を母親として、この世に生を受けた。次期天皇としては申し分のない血統だが、皇統の未来には若干の不安要素を抱えてもいる。嵯峨上皇は、自身の直系子孫と弟(淳和上皇)の直系子孫が交互に皇位を継承する、両統迭立を構想したが、それはいずれ争乱を避けられない理想論に過ぎないからだ。
もっとも理想に翳りがさすのはまだ少し先の事で、幻影に過ぎない平安が、文字通りに横たわっていた京で、夏井はその人生で最初の大きな一歩を踏み出した。
承和元年(834年)、夏井は仁明天皇の勅許を得て、皇太子の学友に選抜された。
これは善岑が実弟の長江を通じて、淳和上皇に働きかけたことが功を奏した。長江は淳和上皇の側近に仕えていたから、上皇の推薦を得るのは難しいことではなかった。上皇も政治的な事柄では口を出さない主義を貫いていたが、息子の教育に関しては別だったからだ。
但し、肝心の仁明天皇は、文武両道においていずれも常人離れした能力を発揮する超人的な人物で、他人の意見に左右されるような性格ではない。いくら淳和上皇の推薦があったところで、本人に実力がなければ通るものではない。
しかし善岑は、その実力という一点においてこそ、絶対の自信があった。
果たして善岑の思惑通り、仁明天皇は夏井が提出した書の出来映えを見て、採用を即決したのだ。
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