(二)

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(二)

     (二)  広いテーブルにひとりぶんの食器類は、見慣れた光景とはいえ、どうしても寂しさを拭えない。  お嬢さまの席の対面に座るはずのご主人夫妻の姿は、今夜もない。  おふたりが夕食の席を彼女と一緒にするのは、週に一度あるかないか。それはお嬢さまの幼少のころから続く。  事業家のおふたりであれば致し方ないことかもしれないが、そんな家庭環境でよく道を踏み外すことなく、お嬢さまは素直にお育ちになったと思う。  ずっとあなたがいてくれたから、と、事あるごとにおふたりは私に謝意を表してくださる。だが、謙遜からではなく、そうではないと思う。それは、両親が自分に対して、決して無頓着なわけではない―――と感じとれる聡明な感性が、幼きころからお嬢さまには備わっていたと考えるゆえからだ。  ご夫妻は時間の共有のかわりに、多大な小遣いや物をお与えになる。それがいいことなのか疑問はあった。しかし、それ以外の愛情表現が見あたらないおふたりの苦悩を推し量ることも、難しくはなかった。  なににしろ、それらの情愛を浪費しないことも、彼女の誠実さを表している。  しかも、高校も二年生にあがると、お嬢さまはアルバイトまでなさるようになった。  自分たちに相談なくお決めになったことに驚いたご夫妻は、今の小遣いだけではまかなえない、ほしいもの、またはやりたいことがなにかあるのか、当然お尋ねになり、であらば、遠慮なくいってほしいともおっしゃった。  しかしお嬢さまのご返事は、あくまで社会勉強の意味合いからであり、かつ、学業との両立をどこまで計れるかの挑戦でもある、というものだった。これは、申し分ない成績を維持しているお嬢さまだからこそいえた台詞であって、もちろん給与は貯金に回す、とも、その口は動いた。   一般の子女ではいささか考えられないこの言葉が、はたして真意であるのか、あなたからも探ってもらえないか? もしかすると、多大な金銭の絡む困りごとを抱え込んでしまった、というような 両親には打ち明けられない事情があるのかもしれないから。―――そう頼んでこられたおふたりの、「万が一にもないとは思いますけど」と結んだ不安顔には―――、  当然信じたいと思いつつも、愛娘にだからこそわく根拠のない心配によって、どうしても疑心を生じさせてしまう。
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