(五)

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(五)

     (五)  動く視界、動く四肢、動く心肺―――それよりも、出窓に映る彼女の姿が、人間になった実感をわかせた。  一九八六年……今から三五年ほど前のあのとき―――瞬間、自分がどうなったのかわからなかった。  それを理解させたのは、チャコの、ワタシを見つめる生の輝きを持った瞳。そして、それを抱く驚きを隠せないそれまでの、“ワタシの顔”だった。  チャコ―――。  やはりその名も、彼女の瞳の色からワタシがつけた。  ワタシの目より明るい、茶色の虹彩を持った人形。ワタシがそれまで大切にしていた……。  ―――チャコはワタシと入れ替わった。  ではどうやって……。  考えた末にたどりついた―――。  祈ったはず。今日のワタシのように。  それまでにもチャコは、星に向かい、ずっと合わせられない手を重ねていたのではないか……。それが七六年周期のあの世界一有名な彗星に願ったとき、やっと叶ったのでは……。いきなりの変化はそうとしか考えられない。  七六年に一度という神秘性が、「偶然では」という頭をまったくもたげさせなかった。  入れ替わったチャコの明かした言葉は忘れはしない。 「ごめんなさい。あなたに恨みがあるわけじゃないの。どうしても戻りたくて……」  喜びと憐れみが入り混じる“ワタシの顔”でいったその台詞が、チャコもその昔、自由に動ける人間であったことを知らせた。だからこっちも、恨みや憎しみなど抱けなかった。  本来であれば、あのときからまた七六年後の二〇六一年まで、ワタシは人形のまますごさなければならなかった。しかし、新たな彗星の発見、そしてそれが今年やってくるという奇跡が、あと四〇年という束縛からワタシを解放した。これは天の采配としか思えない。なにしろワタシは罪人などではないのだ。ただチャコを慈しみ、可愛がっていただけの所有者にすぎない。であれば、もっと早く、この仕打ちから解放されるほかの術を、神は授けてくれてもよかったのでは……とは思ったが―――こうなれた今となっては、もうどうでもいい。  あれから三五年経った今、ワタシの姿を持ったチャコはどうしているか……。  生きていれば、五〇半ば……。  元気にしているか……。  星の到来を前にいっときめぐらせた想像は、はやる心を押さえるためだったのかもしれない。  そしていざ―――ワタシは祈った。
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