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まさか異空間に足を踏み入れ、その空間作用により、あの時間の記憶だけ通常使われない脳の一隅に保存された……なんてことはあるまい。
自ずと回想は進んでいく―――。
妖しげな雰囲気という点は、カウンターの中の女にもあてはまっていた。
スタイルのよい躰に密着した漆黒のパンツスーツとインナーは、まるで喪服を想像させ、長い髪の間から覗くエキゾチックな細面は年齢不詳。ただ、美形であることには違いなかった。
また、シルバーで統一されたイヤリングとブレスレットが上品なアクセントにもなっており、見方を変えれば、DCブランドの店員、といってもおかしくはないと思ったことを覚えている。
ほかに客は……いなかった。だからこそ、女―――マスターだったと思う―――は、ずっと俺の前にいた。
決して口数は多くない彼女だった。だが、しっとりとした低音の心地よい対応が、ここでも愚痴の吐露を忘れさせたように思う。
しかし、どんなことを話したのかは……。
ただ、おぼろげな中にたしかに残っている会話はあった。
―――繁華街ではないこんな寂しげな街中にぽつんとあって、しかもひとりで夜更けまでやっているのは危なくはないか……。
尋ねた俺に、彼女は整った顔を微細に緩め、そして、
「ひとりじゃありませんから」―――そう答えた。
ひとりじゃない……?
すると彼女の視線は俺から外れ、店の片隅へと流れた。
俺の顔もそれを追ってふり返る。
二脚あったテーブルの、その一つの奥。一段と暗がりになっていたコーナーに―――、
うっ!
網膜に映ったのはこっちを見つめる女の、宙に浮かんだ顔。
息がとまった。
―――が、それも数瞬で……。
浮かんでいたのではない。マスターと同じ黒一色の衣装が、同じく漆黒に塗り潰された壁面の色と同化し、たたずむ彼女の首から下をないものとして認識させていただけだった。
存在に気づかなかったのは暗がりということもあったろうが、入店したときからの意識が、ほぼ美貌のマスターだけに集中していたからではないか……。
そして俺の瞳は、ずっと気配を消していた彼女の、その顔にフォーカスを合わせていき―――。
刹那、意識が記憶の旅から今へと帰還した。
弾かれたようにベッドの枕許へふり向く。
微動だにしない美顔はまぎれもなく、
彼女だ!
この女は、あの店にいた彼女だ!
と、
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