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まさか勝代も、こんなところを開けようとはしないだろう―――そんな頭があったにもかかわらず、いの一番にこの方法を採択しようとしなかったのは、はたしてスペースが残っていたか、という懸念があったからで……。
片腕で彼女を支え、襖を開ける。
すると、差し込んだ陽光で溶けた闇の中から、重なり合う幾多の瞳、唇が現れて―――。
やはり……と、落胆した俺に、
『ねぇ、覚えてる?』
動くことのないそれらの一つから、甘い囁き。それが、意図せずあの店の名前を記憶の底から喚起させた。
ドアの上、一枚板に浮かんだ文字は―――、
BAR man……mann……mannequ……mannequin。
あれは「マヌカン」と読むべきだったのか、それとも「マネキン」だったのか……。
いずれにしろ、あの店名が俺を誘ったんだ。
また違う瞳が、
『ねぇ、覚えてる?』
艶かしく問いかけてきた。
「……ああ」
脳内で答えた。
「きみたちの唇に紅をさし、あの油性マジックで胸の先端に朱を乗せ、下腹部に陰りを加えて……そうしてからきみたちのすべてを慈しんだんだ」
欲望を昇華させるための行為が、泥酔状態にあっても毎度克明に網膜に刻み込まれるのは、人間の性ゆえなのか……。
『ねぇ、覚えてる?』また違う女。
「……ああ、この病気は勝代とつき合い始めてから発症したんだ。それ以前は一度たりともなかった。そしていくら酩酊しても、きみたち以外のものを拾ってきたことはない」
『ねぇ、覚えてる?』その後ろの女。
『ねぇ、覚えてる?』また違う女。
『ねぇ、覚えてる?』また。
『ねぇ、』また。
『ねぇ、』
『ねぇ、』
『ねぇ、』
「待ってくれ! 俺にも教えてくれ! きみたちは……きみたちはどこから、どうやって俺に連れてこられたんだ!?」
『……』
『……』
『……』
『……』
途端、静寂に包まれた部屋。
そこに間もなくして響いたのは―――。
“ピンポ~ン”
インターホンの音……のみ。
“ピンポ~ン……ピンポ~ン……ピンポピンポピンポ~ン……”
勝代の性格を表すせっついたリズムは、破滅への合図でもあった。
こんなに早く到着したのは―――おそらくカレ―と白米は、インスタントを買ってきただけなのだろう……。
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