【音のない囁き……あまく】

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“ピンポピンポピンポ~ン……” “ピンポピンポ……ピロン……”  ん……。 “ピロン……ピロロ~ン……ピロロ~ン”  重い足は、ドアに着く前にとまっていて―――。 “ピロロ~ン……ピロロ~ン……ピロロロ~ン……”  違う。……これはチャイムの音じゃない。 “ピロロロ~ン……ピロロロ~ン……”  フッ……。  意図せず吸った息と同時に、視界は突如、ぼやけた長方形をとり込み……。 “ピロロロ~ン……ピロロロ~ン……”  そして鳴り続く電子音は、すぐさま脳に、それが携帯だと認識させる。  二週間に一度の勝代の美容院通い。その待ち時間にいつも使う喫茶店が臨時休業だったために入ったこの店は、客の少なさと静かにかかるジャズで、知らぬ間に疲労の身を夢世界へ引き込んでいた。  あわてて通話モードにし、耳にあてる。刹那、そっとあたりを見まわしたのは、会社員になってからの癖。  フロア―にはきたときと変わらず、女性がひとりだけ。離れた席であるからここでしゃべっても迷惑にはならないだろう。  手で口元を隠すようにして、「もしもし」とかすれ声を送った電話から返ってきたのは、「もっと早く出なさいよ!」という、半ば予想していた叱咤。それから、もうすぐ済むから車をまわしてこいと告げた勝代は、一方的に通話を終えた。  早くいかなければ、また怒気を含んだ大声が飛んでくる。が、さっきまでの世界が幻であったことを悔やむ想いが、その夢中同様、足を重くしていた。 「ありがとうございました」  店員の声に送られ、勝代の車をとめるコインパーキングに向かっていた俺の頭には、さっきの夢が離れられないでいた。  悪夢の部類ではあろう。だが、あのとき俺はたしかに、これで奇病から逃れられる……そう安堵した。それは同時に、勝代と決別できる喜びでもあったわけで……。  しかし現実でそれができずにいたのは、ひとえに、安泰な人生を得るため。―――夢の中で語られたそのものだ。  だが―――。  ああまではっきりと記憶に残る夢を見させたのは、やはり深層心理が、今のこの状況を否と捉えているから……。 『ありがとうございました』―――。  高校生ぐらいか……今のウェイトレスのさわやかな笑顔―――あんな表情を、勝代とつきあって以来、俺は浮かべたことがあるだろうか……。  寂寞たる自問が、自然と天を仰がせた。
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