4.変化

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 師走の内津山は、頂の白さをやや深めていた。  相変わらず小幡組のみんなは俺を笑顔で歓迎してくれた。俺は取引先から仕入れた上等な日本酒と、知人の店からもらったチルドタイプの惣菜をいくつか持っていった。事務所で広げた途端、争奪戦になった。鷹之だけは、素知らぬふうを装って一人淡々と事務作業を進めていた。  小幡さんの話だと、時期によって肉の味が違うのだそうだ。都度味を確認したほうがいいと言われた。  サンプルを別で送ろうかと聞かれたが、俺はせっかくなので毎回ここに来て食べます、と答えた。この山を訪れる口実が欲しかった。休みが取れるし、鷹之にも会える。一石二鳥だ。  ひとしきり話したあと、俺は役場を回ったりして、夕方に麓のスーパーで鷹之と待ち合わせた。彼はいつもどおり無愛想だった。開口一番「鍋が食いたい」と言う態度には遠慮がなく、そのことがかえって俺を浮かれた気分にさせた。俺たちの間にあった長い距離が、確実に縮まっている、そういうふうに思えた。  買い物袋を抱え、初めて鷹之の家にあがった。  彼の家は、小幡さんの家と同じ集落にあった。一人暮らしというからアパートか何かと思ったが、年季の入った一軒家だった。  古民家だとかそういうお洒落な雰囲気でもない。屋根も壁もトタン張りの、昭和の質素な平屋建てだ。  この家はもともと小幡さんの親戚の所有だったが、鷹之の独り立ち祝に進呈されたらしい。何もこんな古い家を押し付けなくてもいいのに。  ひんやりとした玄関には、ホコリとガスストーブの混じった匂いが漂っている。玄関を上がると左手に居間、右手にダイニングキッチン。奥にももう二部屋ほどありそうで、一人暮らしするにはもったいないほどの広さだ。  キッチン以外は畳部屋で、障子の引き戸の向こうには、ガラス張りの縁側まであった。  元々垣根だったであろう山茶花の木が伸び放題になっていて、無数に咲く赤い花が、家中のガラスからこっちを覗いている。  鷹之は奥の部屋に荷物を置くように言って、買ったものを整理し始めた。  彼の指示した部屋は寝室のようだった。床の間に温かみのあるオレンジの照明が置いてあり、家具はすべて、民芸風の意匠を凝らした純和風。彼の趣味が伺いしれた。その部屋の隅になぜか子供が一人入るようなロッカーがドンと置かれていて仰天したが、あとから聞いたら、あれは猟銃をしまう専用の箱で、ガンロッカーという代物だった。  水回りは一度リフォームされたようで、キッチンは近代的だ。そこで鷹之と二人、肩を並べて料理をした。  鍋の出来は上々だった。大部分は俺がやったが、鷹之もほんの少しだけ加勢してくれた。彼の野菜の切り方は随分いい加減で、白菜は芯と葉が一緒になっていた。店にはまず出せないが、ここは店ではない。不格好な具材を目一杯詰めた鍋は、特別な味がして芯から温まった。彼にそのことを言うと、それ褒めてんの?と言いながら笑った。  彼は最初の頃より随分と笑うようになっていた。  食事が済むと、彼が冷蔵庫から梨を一つ出してきた。あっちゃんからカゴいっぱいにもらったらしい。  鷹之は自分で切ると言い張るものの、あの包丁さばきである。俺はしばらくテーブルから見守ったあと、彼の横に立った。 「切り方わかる?」 「……わかる」 「そうじゃない」 「……こうか?」 「違うって!指切る!指!」 「あ゛ぁ?!」  お互いちょっとキレ気味になってきたところで、俺は彼の後ろに立って腕を回し、 「こう!」  彼の前で包丁を握った。後から抱きしめるような形で、体が密着する。  半分はわざとだった。彼をからかってやりたかった。鷹之は一瞬硬直し、俺の方をゆっくり振り返った。睨みつけるようにしばらく俺を見たあと、不意に、俺の頬にキスをした。  今度は俺が硬直した。 「……ほ……包丁もってる時はふざけない!」  家庭科の先生のようなことを言いながら、照れている自分をごまかす。 「ばぁか」  彼もまた、目を細めて笑っていた。切った梨はみずみずしくて美味かった。  その晩俺は鷹之を抱いた。  露わになった彼の肩を布団の上に押しつけながら、俺は念押しした。 「キスされたからって、義理立てしなくていいよ。お前が嫌だったら、こういうこと、しなくていいから」  珍しく俺は躊躇していた。見上げる彼の目が、真っ直ぐに俺を射る。 「……別に、義理じゃない」 「そう、」 「お前が義理ならやめる」  俺はすぐに、違う、と否定して、そのまま深く口づけた。彼も腕を回し、ゆっくりそれに応える。そして互いの持ちうるすべてで、互いを探り合った。  彼のこぼす吐息。俺の名を呼ぶ声。俺に触れる指も舌も、すべてが愛おしかった。  ふたりきりの夜が更けていく。  俺は疲れ果てた彼の背中を抱きしめていた。ゆっくり互いの体温を通わせながら、部屋の静謐さに耳を傾ける。  どれくらいそうしていただろうか。その静寂を、彼が不意に破った。 「礼司、おまえ、死にたいと思ったことある?」 「……何、いきなり」  俺に背を向けているせいで、彼が今どんな顔をしているのかわからない。 「面白い話がある」 「……なに?」 「俺の昔話、」  彼は、自分で言い出しておきながら少しだけためらっているようだった。しばらく間を置くと、静かに語り始めた。
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