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事務所に戻ると、小幡さんの野暮用とやらはすっかり片付いたようで、早速彼の家にお邪魔することになった。
今日はこのままこの家に泊めてもらう予定だ。俺は奥さんに案内され、二階の空き部屋に荷物を置いた。ベッドの下に何故かもう一揃え布団が据えられていたので不思議に思ったが、聞くほどもなかったので、そのまま大人しくリビングへ向かった。奥さんのピンクの割烹着には、熊のアップリケが付いていた。
小幡さんの家は壁も床も綺麗で広く、とても田舎の一軒家には見えなかった。十年前に建て替えたらしい。暖房がしっかり効いていて、冷えた鼻先がジンジンした。
奥さんは貯蔵庫から肉を出して焼いてくれた。鹿肉の味は想像していたよりも獣臭さがなく、草や土を思わせる風味がした。他にも猪や熊の肉もあった。この辺りでは佃煮でも食べるのよ、と、いくつかの料理法を紹介してくれる。
「佃煮なんてぇ野暮ったい、かあちゃん。洒落てなきゃ東京じゃ出せねぇよ」
「あ、いえ、すごく参考になるっす。色んな料理ができそうですね」
「……だって!お父さん。気に入ってもらえてよかったわぁ!」
小幡さんも奥さんも、期待のこもった笑みを浮かべていた。
俺はすぐに、肉の供給についてしっかりした契約を願い出た。
気づくと外は暗くなっていた。奥さんはそろそろ夕飯ね、と言って立ち上がった。
準備を手伝おうとキッチンに向かった時だった。外で車の音がした。
家のチャイムが鳴る。
「おじーちゃーん!」
「来たかぁ」
バタバタとう足音ともに、小学生くらいの子供二人と、俺と同じ年頃の夫婦が現れた。
「レージくん、こっちは末の息子の明だ。それから嫁さんの美沙子さん、あと凛奈と颯人」
一気に増える名前を俺は心のなかで必死に復唱する。こんな大所帯になるなんて、聞いていない。
「いやぁ、本当はそんな予定なかったんだがな、明たちが急に来たいって言ってなぁ。ちょいと準備が大変だったんだ。」
……ひょっとして、昼の野暮用とはこれだったのでは。
さらに続いてチャイムが鳴った。今度は誰だ。
「タカちゃん来たわよ〜」
奥さんに通され、鷹之が飲み物の入ったビニール袋を手に提げて部屋に入ってくる。
――なんで鷹之が。
「タカ!元気にしてたか」
明さんが顔をぱっと明るくした。
そうこうしている内に食事作りが始まったので、俺も慌てて参加した。
奥さんは最初はお客様だから、と俺の申し出を断ったが、小幡さんが「プロの料理が食いたいよぉ」と叫んだので、キッチンに入れてくれることになった。
少し散らかったキッチンで、俺は野菜を切ったり煮物を手伝ったりした。包丁がよく手入れされていたのでそれを褒めると、
「やだぁ。男前に褒められちゃったぁ」
と奥さんが両頬に手を当てながら照れた。
「かあちゃんは上背があるとみーんな男前って言うからなぁ!」
「やぁね、お父さんたら妬いてるのよぉ」
部屋じゅうで笑いが起こった。
すき焼き用のしらたきを切っていると、隣で揚げ物をしている奥さんがこの家のことを教えてくれた。
「タカちゃんは色々とあって、小さいときから私達と一緒に暮らしてたのよ。
うちの子供の中ではアキちゃんが一番年が近くてね、兄弟みたいに育ったの。仲良かったのよ、二人で遊びに行ったり、宿題を見てあげたり。
二十歳でタカちゃんは一人暮らしを始めたんだけど、今もこうしてよく顔を見せてくれるの。」
鷹之は両親がいないと言っていたが、小幡さん一家が里親のような感じだったのだろう。
彼の方をちらっと見ると、明さんと懐かしそうに何かの話をしていた。その顔が見たこともないくらいに穏やかだったので、俺はほんの少し寂しかった。
それはもう随分長く会っていない兄のことを思い出したせいかもしれないし、多少は打ち解けたと思っていた鷹之が自分の知らない顔をしているせいなのかもしれなかった。きっと前者だろうと思いながら、奥さんの揚げたかぼちゃの天ぷらを盛った。
宴会のような夕食はまたたく間に過ぎた。
結局大した手伝いができなかったのだが、小幡さんは「プロが作ると違うな〜」などと言って満足げだった。
「タカちゃんも泊まっていくわよね?お部屋、きれいにしておいたから。布団も二つ敷いておいたし」
布団も二つ?
「礼司くんもタカちゃんの部屋でお願いねぇ。部屋がいっぱいだから」
そんな馬鹿な、という顔をしたのは俺も彼も一緒だった。
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