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麻央が言い放った瞬間、邑仁も真希も呆然としていた。
「お母さんやめるって……は?」
「いきなり何言ってるんだ?」
「いきなりじゃない。もうずっと前から考えてたの」
「ずっと前!?」
この二人にとって、麻央が離反するなどあり得ないことなのだろう。
青ざめる真希の顔を見ていると、ほんの少しだけ迷いが生じた。
だが、それを吹き飛ばすような声が室内に響いた。
「こんばんは」
その声は、室内から聞こえた。ドアが開いた形跡は無く、人影が声と共に現れたのだ。何も無いところから、突然に。
現れたのは、漆黒の装束に身を包んだ男性だった。色白で長身だった。整った顔立ちに見惚れそうになるものの、その額の両側には黒い角があった。しかも片方が折れたまま歪な形を晒している。
その場にいた全員を圧倒する空気を纏いながらも、誰よりも慇懃な物腰で男性は告げた。
「お迎えに上がりました。お別れはお済みでしょうか?」
「は?」
「ごめんなさい、もうちょっと」
麻央がそう言うと、男性は一歩引いた。見たことのない恭しさに、邑仁も真希も嫌悪感を示した。
「その人……誰? お迎えって?」
「この方を、魔王としてお迎えするのです」
輪の外から、男性の鋭い声が飛んできた。
「麻央様は余命幾ばくもないお体でした。そこで残り短い時間をどのように過ごそうかお悩みでしたので、我らの元へ起こし頂けないかとお誘いしたところ、ご快諾頂けた次第です」
「何それ、意味わかんない。色々、全部!」
「……まずはこれを見て」
興奮する真希に、麻央は封筒を差し出した。中には何枚かの書類が入っていた。それを見て、邑仁も真希も言葉を無くした。
「癌!?」
「余命……一年?」
二人は真偽のほどを問うように麻央を見つめたが、無残にも麻央は頷いた。
「何で言ってくれなかったんだ……」
「家族同伴で結果を聞きに来るよう言われてるって伝えた。でも二人とも忙しかったでしょ」
「こ、こんな結果だって知らないし」
「病院名が書かれた封筒を読んでとも伝えた。でも真希、コーラ零して捨てようとしたよね」
「そ、それは……」
「自分のこと以外どうでもいいんだよね、あんたたち」
麻央は、事実を淡々と述べた。すべて事実だからこそ、邑仁も真希も、それ以上言い返すことが出来ずにいた。その様子を見て、男性は前に進み出た。
「お話はお済みのようですね。では……」
「待った! 病気のことはともかく、魔王とは一体何なんだ!」
混乱した顔で邑仁が掴みかかろうとしたが、男性はそれを華麗に躱した。
「そちらについてはご理解を頂く必要はないかと。麻央様のご承諾は既に得ているので」
邑仁は、麻央の方に目で訴えかけた。だが麻央は呆れたように、その視線を振り払った。
「行きましょうか」
「ま、待って……!」
引き留めようとする真希の声に、麻央は振り返りもしない。
黒い装束の男性の導きに従って、一瞬で姿を消してしまった。
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