【独り】

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 野球部員達は、それぞれ仲のいい友達と談笑しながら歩く。そんな中、僕は一人無言。  町の中で一番大きな緑地の前に差し掛かった時、スポーツバッグを引っ張られるような重みを感じた。振り替えるとそこには、ニヤニヤと笑う伊藤。彼の手には、野球ボールが握られている。 「返せ」  咄嗟にそう言って手を伸ばしたが、ボールは逃げるように宙を舞う。数人の野球部員でキャッチボールが始まり、最後に伊藤が緑地へと投げ込んだ。  幼い頃、憧れだった選手からもらった直筆サインボール。肌身離さず持っている宝物。  手が滑ったと笑いながら言う伊藤を睨みつけるが、逆に威圧的に睨み返されて足がすくんでしまう。そんな僕に伊藤がとどめの一言を放った。 「早く探しに行かないと、日が暮れたら見つけからないよ」  言われて見上げると、空は西の方が紅く染まり始めている。悔しさと怒りを無理やり飲み込んで、緑地の小道へ向かう。伊藤たちの汚い笑い声を背に受けながら。  バス停の前に古びたお地蔵さん。その脇に緑地に入る道がある。管理されていない緑地は草木がうっそうと生い茂り、まるで森の中のよう。そんな場所でたった一つのボールを探すのは困難だった。  しらみ潰しに探すのを諦め、道から視線をめぐらせて歩く。草木に埋もれていれば見つかるはずもない。諦めの気持ちが芽生え始めたとき、手の痛みに気づく。  見ると、左手の甲から血が流れている。草木を掻き分けているときに切ったか、それとも虫に喰われたか。  出血は僅かだが、大量のやる気が流れ出す。すると、悔しいとか情けないとか、負の感情が込み上げてきた。  立ち止まりため息をついていると、一輪の風が吹き抜けた。風に揺られた枝から、はらり はらり と葉が落ちる。すると、どこからともなく歌声が聴こえてきた。  この町では知らぬ者はいない昔の歌。その歌に誘われるように小道を進む。その先に、古ぼけた小さい鳥居が見えた。足取りが軽くなるのを感じる。鳥居をくぐると、草木に阻まれた視界がスポンと抜けた。  そこは、稲荷神社。広くはない境内に、小さな社。その前で、和服姿の女性が歌っている。女性は、僕に気づいたのか歌をやめてこちらを向く。その瞬間、色素の薄く長い髪が、日の光で銀色に煌めいた。  美しい…。そう思った瞬間女性が微笑み、僕の胸がトクンと鳴った。
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