51人が本棚に入れています
本棚に追加
/185ページ
ジャグジーを出て、ぬくぬくのリビングで椅子を用意すると、不思議そうな顔をする礼央くんをそこに座らせた。
私はこっそり練習していたんだ。
礼央くんは家に遊びに行くといつも私にピアノを弾いてくれる。
私の恋心は礼央くんのピアノによって癒されて再生されていったのは事実で。
私もそれに答えたいなって。
譜面をおいてピアノの椅子に腰掛けると、礼央くんに顔だけ向けた。
「礼央くん。いつもありがとう。さっき言ってくれたことも本当に嬉しかった。
私はいつも礼央くんに恋してる。
うまく言葉に出来ないから聞いてください。」
目を閉じて、深呼吸を一つ。
ピアノの先生に唯一ベタ褒めされた曲
♪ドビュッシーのアラベスク♪
私らしくないしっとりとした曲なんだけど、先生は凄く褒めてくれた。
「璃子ちゃん、いいわよ。らしくないじゃない。」
辛口の先生は私が3歳から習っている先生で、おまけに親戚にあたる人だから、遠慮なしにアドバイスしてくれる。
いつも私は元気な曲が多い発表会において、先生が
「璃子ちゃん、そろそろ落ち着いてみましょ。」
と中1の時の発表会で提案してくれたのがこのアラベスクだった。
最初譜読みした時から胸が高鳴った。
あぁ、私この曲弾けるようになりたいって。
だから忠実に、テンポの練習をただひたすら続けた。
急ぎたくなるけれど、これは抑えて抑えて、奏でるように。
ルバートのかけ方を注意して。
ペダルの微妙なラインを攻めながら。
ついつい早く弾いてしまいたくなる自分をおさえる。
先生には「璃子ちゃん、そこはアダージョ。」
何度も言われながら…
発表会では周りからや、知らない人からも凄く褒めてもらえて、私の唯一の自信曲。
第一番を弾き終わると、拍手する礼央くんの前に出てお辞儀した。
「璃子ちゃん、素晴らしかったよ。凄く良かった。なんで今まで聴かせてくれなかったの?」
「あははっ。ありがとう。だって礼央くんが上手すぎるんだもん。」
礼央くんは立ち上がって、私にキスを落とした。
「また僕璃子ちゃんの好きなところ増えちゃった。」
「あははっ。嬉しい。ありがとう。」
「こんなに僕を夢中にさせてどうするの。」
「じゃあ……ずっと私を離さないでね。」
「離すわけないよ。もう早く一緒に暮らしたい。」
「うん私も。」
そしてまた礼央くんがキスをする。
甘い夜のはじまりのキスに、私は心が躍った。
ーーーーーーー
このアラベスクを完成に近い形までもっていった時、中1の13歳だった私はこれは「恋している曲」だと思った。
ドビュッシーさんは恋をしながらこの曲を作ったんだな、って。
だから私もいつかこんな恋がしてみたいなぁって思いながら練習していたんだ。
でもその後に経験した二つの恋は甘さと苦しさを私に与えた。
もう恋は私の中に必要ない感情だったはず…だった。
それがピアノが縁になって、また素敵な恋をしている。
いつか礼央くんに、この話が出来ますように。
それまでずっと一緒にいれますように。
幸せそうに隣で眠る礼央くんのほっぺに願いを込めて、キスをした。
終
最初のコメントを投稿しよう!