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$捕縛
一歩一歩、ムマの潜む暗闇に近づいていく。
姉弟の荒い息づかいを感じる。呼吸音が聴こえるわけではない。ただ、空気の流れでわかるのだ。
姉弟を支配しているのは恐怖だ。弟の方は、完全に委縮している。姉の方は抵抗する気配を見せているが、その表情からは絶望しか読み取れない。おそらく機関の戦闘職員と闘った経験があるのだろう。勝てる相手ではないという事を、はっきり理解しているーーそういう表情だ。
我々戦闘職員はプロフェッショナルだ。ムマと戦う為だけに、特化した訓練を受けている。ムマの性質、弱点についても、嫌という程、徹底的に頭に叩き込まれている。
三目属の戦闘能力は決して高くない。彼等は3つの眼球を持つということ以外、人間と変わらない生き物なのだ。
三目属の扱いについては、動物愛護団体から何度も改善要請を受けている。不思議なことに、人権団体は動かない。三つ目属はあくまで愛護すべき「動物」であり「人間」ではないということだ。それが暗黙の了解事項になっている。
三目属の人権を認めてしまうと、殺人ウィルス特効薬の製造が不可能となる。それだけの理由で、彼等は人として認められていないのだ。そこには製薬会社の強い思惑が働いている。大手製薬企業から与党の有力議員に対して、相当な額の献金が行われていると聞く。
僕はもう、何を耳にしても驚かなくなっている。賄賂などにいちいち反応していたら、魂がいくつあっても足りない。何から何まで腐りきっている。
兎に角。
今は自分の利益に集中すべきだ。僕はふたりを捕縛する。哀れな姉弟は、目玉をくり抜かれ、然るべき処置を受けた後に廃棄されるだろう。眼球は遠心分離機にかけられ、特効薬の成分が抽出される。わずか0.01gの成分のために命を奪われる。
そして僕の銀行口座には、決して安くない額の報酬が振り込まれる、というわけだ。実に旨い話じゃないか。
戦闘職員は成果報酬システムをとっている。ムマを倒さなければ、一銭にもならない。僕にも生活がある。奨学金の返済時期だって迫っている。だからこの姉弟を捕まえなくてはならない。
僕は〈ウォッチ〉を操作し、強化服を戦闘モードに切り替えた。
「ギリギリ」という音と共に、全身に強い圧迫感が走る。
強化服は肉体へのダメージを軽減し、筋力を倍増させる。どのような仕組みになっているかは僕にも分からない。研究センターに生息する、頭のキレた連中の、努力と工夫の賜物だ。
構造は解説不能だが、強化服が圧倒的に役立つものであることは、身に染みて理解している。生身の人間とやり合えば、相手が誰であれ、間違いなく勝てる。仮に着用しているのが子供であっても、同じ結果になるだろう。か弱い人間である僕達を、命の危険から守るために誕生した、圧倒的なテクノロジー。それが強化服だ。
姉弟が後ずさる。姉は歯を剥き出しにして、僕になけなしの敵意を向けてくる。無駄な抵抗である事は分かっているが、せざるを得ない。その他に選択肢がない。そういう顔だ。
ふいに同情の気持ちに捉われる。
僕にも姉がいた。
とても優しい姉で、いじめられていた僕をよく庇ってくれた。
その姉も数年前に殺人ウィルスで帰らぬ身となった。
自分の姉と、三目族の少女が重なって見える。
駄目だ。
同情は禁物。
この世は、食うか食われるかだ。
僕は体勢を整え、三つ目属の姉妹めがけて突進を開始した。
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