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彼は部下にもよく気を使っていた。大柄で、性格は大雑把だがどこか母性的でもあった。私が彼の部下の真似事などやるような歳になると、彼の部下は気持ちよく私を迎えてくれた。彼の部下は暴走族あがりや刑務所帰りが多かったが、特に目立っていたのは中尾という男だった。中尾はどことなく中性的な面立ちをしていたが、圧倒されるようなオーラがあった。私が十九の時に彼は、26だったが。
時折おじさんさえ、眩しそうに中尾を見つめる。
なぜか、彼には逆らえない。そんなことさえ頭によぎるのだった。
「あいつはな、アルファなんだよ」
家に帰って何かの話のついでにおじさんが言った。
あれがアルファか、と思っているとビールのプルタブを開けながらしみじみとおじさんは言った。
「俺のかあちゃん、つまりはお前のバーさんだ。あれはオメガだった。オメガとベータが結婚する時には、そりゃあ反対されたそうだ。子供がオメガだったらどうするんだってな。だけどまあ、大丈夫だった。でもなあ……もし、俺がオメガだったら……?」
そう言って彼はじとり、と私を見た。私は自然に真面目な顔になったが、それを見た彼は「わははは」と笑ったのだ。
「そんな笑えねえ話はねえわな!こんな形ナリでオメガだったらたとえ発情期になっても誰も抱かねえだろう」
「でも、匂いを出すんだって、甘い匂い」
「俺が出すのはせいぜい、便所の芳香剤みてえな匂いがするだけだ」
そう言って陽気に笑う彼を見て、私も「そうだね」と言って笑ったのをよく覚えている。
そして五年が経った。
私は二十四になり、おじさんは四十五だった。普通のサラリーマンよりも、おじさんの傍にいる人生を選んだ私はとても満足していた。
おじさんの大柄な体、眼光鋭い瞳は相変わらずで、けれども笑う時にはとても楽しそうに笑うのも、相変わらずだった。
あの、悪ふざけがあるまでは。
あの晩は、忘年会だったのだと思う。
どこかみんなで温泉に行こう。おじさんが言いだして、マイクロバスを借りて三十人位の部下でゴルフと温泉旅行へ行った。一日目は早々に温泉宿につき、明日は早朝からゴルフ。そういう予定だった。コンパニオンと酒を飲んでいる時に、三十代になった中尾が「じゃーん」と言ってペンのような物を取り出した。なんだ、と思っていると渋い顔をしたおじさんが「馬鹿野郎」と中尾の頭を小突いたのだ。
「てめえ、なんてものを持ってるんだ。それは悪ノリが過ぎるんじゃねえか?」
「ええ?そうですか?だって、中尾さん……オメガって……発情したときってめちゃくちゃエロいですよ?ここのコンパニオンだってオメガばっかりでしょ?別に無理やり打とうとか言うんじゃないんですよ。同意を得てですね……」
「俺は感心せんな。そんな、おまえ……」
私はそれがなんなのか解らなかった。他の連中はそれを見てニヤニヤしていたので、つい、聞いてしまった。
「あの、中尾さん。それって一体何なんですか?」
「ん?お前……知らないのか?これはな、オメガ専用の興奮促進剤だよ。ちょっとしたエロ薬ってとこだ。だけど、安藤さんこういうの嫌いですよねえ。ほら、全然痛くないんですよ、試してみますか!」
「お、おい!」
私に話していた中尾がいきなりおじさんの手を掴んだ。
そして、ぷすり、と刺したのだ。
慌てるおじさんに対して、中尾は悠然としていた。
「おい!お前はなんちゅうことを……」
「いやいや、冗談じゃないですか。だって安藤さんってベータでしょ?俺、昔にアルファやベータにも効くのか試したくてクスリ打った事ありますけど……なんともなかったですよ?」
「だからってなあ……」
「いいじゃないですか、それでオメガになるわけでもなし……。まあ、もしもオメガになっても、俺が面倒見てあげますよ、安藤さん」
「おうおう、言ってくれるじゃねえか。そうなら、女になったらアタシをオヨメサンにしてよね……!」
そう言って嫌がる中尾にシナを作って抱き着くおじさんは、普段の通りで何の変化も見受けられなかった。
だが、翌日には早くも変化が訪れた。
早朝に出かける約束をしていたのに、おじさんだけがロビーに現れない。心配になった私が様子を見てくる、と言うと中尾もついてきた。
おじさんの部屋の前に行くと「おじさん」と声をかけたが返事はなかった。
「昨日そんなに飲みすぎてもいなかったのに」
「まあ、あの人も年だから」
そんなことを言っていると、ドアががちゃり、と開いて酷くだるそうなおじさんが顔を出した。
「すまんが、置いていってくれ。なんだか体調がおかしいんだ」
「風邪?」
「まあ、そんな所だろう」
そんな訳で私達は予定通りにゴルフへ行き、体調の悪いおじさんは一人で家に帰った。
家に帰ると、おじさんが倒れていた。
身動きもできないでリビングにうずくまっているおじさんからは、なぜか……。
花の匂いがした。
それも微かな香りではなく、噎せ返るような花の香だ。
ジャスミン、とか。
金木犀のような匂いに近かったが、もっと、毒々しい匂いだった。
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