君は花より朧にて

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「おじさん、病院へ行こう」 そう言うと、もう言葉も出せないのか、こくり、とおじさんは頷いた。 ただ、腹を指さした。 そして、撫でた。 「お腹が痛いの?気持ち悪いんだね?」 そう言うと、おじさんは頷いて、意識を手放したのだ。 それから私は救急車を呼び、おじさんは病院へ運ばれた。 「なにか、こんな風になった原因に思い当たることはありませんか?」 救急隊員の人に言われたが、私は首を振って「いいえ」と答えるばかりだったのだ。 まさか。 彼の体がオメガに変化している最中だとは思いもしなかった。 おじさんは三日ほど昏睡状態になっていた。 病室には面会謝絶の札がかかっており、私はいつも、病室の前の椅子に座っていた。 医者からも「まだ検査中ですので」としか言われず、私はどうしたらいいのか解らなかった。彼の部下が時折来てくれた。特に頻繁に来てくれたのは、中尾だ。彼は軽薄な態度をよく取るが、おじさんの一番の信奉者であった。 「あの人……他のヤクザに腹刺されても、逆上した女にアイスピックで肩をぐさぐさやられても、全然びくともしなかったんだぜ。俺さ、アルファだろ?で、結構金持ちの家に生まれたんだけどさ……アルファにも落ちこぼれはいるわけよ。で、どうしようもなくって喧嘩ばっかりしてて、女もめちゃくちゃ乱暴に抱いては捨てたりしてたんだよな……。それで怖い連中にボコボコにされてさ、海に捨てられる寸前で安藤さんに拾われたんだよ。だから、俺さ。安藤さんがどうなっても、面倒見るからよ。圭太は心配するな」 「私もそうですよ、中尾さん。私は十六で親を亡くして……それで、縁も薄くなっているっていうのに、甥だからってだけでやさしくしてもらって……私はまだ何も恩返しができていないんだ。だから……」 「大丈夫だ、大丈夫……」 そう言いながらも、病室の前で私と二人で座っている時、中尾は険しい顔をしていた。 そして、すん……すん……と鼻を鳴らしていたのだ。 三日ほどすると、病院からおじさんが意識を回復したという連絡を貰った。 私は中尾に連絡してからすぐに病院へ向かうと、病室にはけろりとしたおじさんがそこにいた。 「よう、悪かったな。心配したろう。もう大丈夫だ」 「おじさん、一体なにがあったの」 「いや、それが俺にもさっぱりなんだが……ともかく、親族の人と説明を聞いてくれとしか先生は言わないんだ。悪いが圭太、一緒に来てくれるか」 「もちろんだよ」 そう言っておじさんと私は主治医の先生の所へ行ったのだが。 衝撃的な事を告げられた。 「安藤さん、大変申し上げにくいのですが……。あなたの体はオメガです」 「なんだと、そりゃあ……なにかの、ジョークかい」 「いいえ、けして冗談などではありません。真実、そうなのです」 「先生よ……、本当なら、もっと、笑えねえだろうが……」 自分の体がオメガになっている。そう告げられた彼は、泣き笑いの顔をしてみせた。ほかにどんな顔をしたらいいかわからなかったのだろう。 原因は、あのオメガ専用の興奮促進剤だったそうだ。 もちろん、ほぼ、99%の確率でそれは無害なのだと言う。 だが、1%の確率に、悪魔は潜んでいる。 おじさんは、1%の確率で、オメガに変化してしまったのだった。 オメガが通常の生活を送るには、匂いを出さないようにする抑制剤と、発情期ヒートの際に使用する興奮抑制剤が必要だった。 また、アルファの前で急に発情期が始まる場合もある。 その時は、逃げるしかないのだと言う。 項を噛まれると、アウトだ。 脳が、体が。 その男の精液を求め、その男の子供を作る事が使命であるかのように作り変えられるのだという。 「これは、なんて……こった」 おじさんはずっと、そんなことばかり言っていた。中尾を責めるでもなく、激しい抵抗をする訳でもなく。ただ、呆然自失になっていた。 それでも家に帰る頃にはなんとか笑顔を作ることが出来ていて、私にこう言った。 「まあ、なんとかなるさ。それに、俺がオメガになったって、誰も俺を女扱いだなんて、する訳がない。なんてたって、こんな(なり)なんだぜ」 そこで私も、こう言った。 「そうだね。……そうだよ。なにも変わらないよ。きっと」
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