君は花より朧にて

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彼が病院から家に帰ってから一週間ほどは自宅でこれからの事を一つずつ確認していった。 部下にはなんと言うか。そんな私の問いにけろりと彼は答えた。 「いや……正直に言おう。オメガになったからって俺は変わらねえが、相手が変わる事はある。なにも悪い事はしていねえのだ。俺はな……圭太。こんな事で嘘なんかつきたくないよ」 「そうだね、おじさん」 私はおじさんの意見を肯定した。 念の為に項にはなるべく目立たないような皮の、項をガードするベルトを巻いた。その上からタートルネックのシャツを着る。背広、シャツの下にタートルネック。おかしくはない。 「おじさん。もしも発情期になったら私も抑制剤を飲むから。それで看病するよ」 「そんなもん……いいよ。気力でなんとでもなるさ。それに、こっちは薬もあるし」 私達はオメガの女性をよく見知っていたが、男性はあまり見たことがなかった。 もちろん見かけたことくらいはあるし、そういう風俗店もあるにはある。 けれどもどこか遠い世界の人種に思えたし、オメガの男は大抵綺麗な顔つきで、体格も女と見間違うような人間ばかりだった。 一方おじさんは、どこからどう見ても男だし、体格も良い。構造的にオメガになったからと言って特になにが変化したわけでもない。 だから、正直に言えばおじさんの身に起きた出来事を軽く見ていたのだ。 なぜ、オメガは差別されているのか。 その差別には意味がある、その事を忘れていたのだ。 おじさんは、一週間後に自分の事務所に向かった。そして部下たちを集めてこう言った。努めて明るく。冗談めかして。 「いやあ……オメガになっちまった。なんか、体が変化したんだとよ。よく解んねえけどな」 部下達は一瞬固まったが、中尾が軽く「まじっすか。それ、ジョークとかじゃないですよね」と笑ったのをきっかけに部下のみんなも笑顔になった。 「別にあんたがオメガになったからってどうということもないじゃないですか」 「え、安藤さん、女みたいになっちゃうんですか?だったら、可愛い感じの子でお願いします!AK〇みたいな」 「馬鹿野郎、なんで体質が変わったからって女になるんだよ。俺はこのまんまだ」 おじさんが多少の野次に笑いながら返すと、部下達も笑い、冗談を言い合った。 「ちぇ、つまんねえの」 「どうせならもっと可愛くなっても俺、安藤さんの事襲いませんから」 「逆に襲われそうだよな」 「解る、それってさ、クマに襲われるようなもんだろ、自転車に乗っても車に乗っても追いつかれちゃう感じでさ。めっちゃホラーじゃん」 「あーあ、俺、結構心配してたんですよ!なんだ、健康そうじゃないですか」 そんなことを言って、彼等はそれぞれの場所へ帰って行った。なにか、言いたいこともあったのだろうが、何も言わなかった。 それにおじさんが感謝しているのも、表情で解った。 ただ、中尾だけが最後まで安藤さんから離れようとしなかった。 おじさんは、中尾がずっと見つめているのに、正面から向き合った。それから黙って首で「応接室へ行こう」と示した。中尾も頷いた。私はなにも言われていなかったが、心配だった。アルファと、オメガが一緒にいることが怖かったので勝手についていったが咎められることはなかった。 中尾は応接室に入るなり、土下座をした。 「すみません、すみません安藤さん……!俺のせいですよね?俺があんな……ふざけた真似をしたから、安藤さん……オメガになっちゃったんですよね?なんで、言わないんですか、みんなに、俺のせいでオメガにされたって……!」 「おい、中尾」 「俺、責任とります。俺の顔見たくないなら破門にしてくれてもいい、でも、償わせてください……。俺、命かけて……」 「あのなあ……仰々しいんだよ。やくざ映画の見過ぎだよ。ほら、立て。いいか……俺はなんにも思っちゃいねえよ。ただ……運が悪かった。それだけだ。それにな、お前も懲りただろう?あんなこと……あんなクスリ、誰にも使うんじゃないぞ」 「安藤さん……」 土下座をして、頭を擦りつける中尾に、彼は呆れた様子で無理やり立たせた。 おじさんは、なにも変わってはいなかった。 ただ、ただ、人として、男として、憧れる存在のままだった。 「いいか、中尾。俺が体がオメガになったからって、一体何を償うんだ。んオメガのどこが罪なんだ。別に構いやしないさ、俺には女もいないし子供もいない。こんな稼業だから作ろうとも思わん。圭太を育てられただけで俺は満足だ。気にするなよ、中尾」 「そんな……あんた……」 「なんだ、そんな顔して。万が一俺が女らしく変わったら、責任とって嫁にしろよ、この、バカモノが」 そう言って彼は中尾の額にこつん、と小さくゲンコツを喰らわせて。 終わりにしたのだ。 「じゃあちょっと心配かけただろうから店の見回りに行ってくる。あと、頼んだぞ」 おじさんは、一人でふらっと出かけてしまった。きっと、私に中尾を慰めさせるためなのだろう、そう思った私は中尾に話しかけた。 奴は、ただじっとしていた。 反省しているようだった。 「中尾さん」 「なあ、圭太」 私が話しかけると、即座に中尾は喋りかけてきた。 「なんですか……」 「あのさ……」 「はい」 「知ってたって言ったらどうする?」 「え?」 「俺が1%の確率、知ってったって言ったらお前……安藤さんにチクる?」 「なに言って……」 「俺、どっちでも良かったんだよ。変わっても、変わんなくても。だって、俺……安藤さんの事、好きだからさ」 そう言って中尾は私の目を覗き込んできた。 その途端に私は身動きが取れなくなってしまった。 彼の目は、ぎらぎらしていた。 まるで真昼の太陽のようだった。 本能的に、私は解った。 (彼は、優位種だ。私は、彼には逆らえない)
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