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年が明けた頃にはシップウヤシャの足の怪我は回復しつつあった。完治してからはトレーニングを再開し、重賞レースにも少しずつ出走するようになった。しかし、休み明けのせいか勝てないレースが続く。そうだ。ヤシャはまだ本調子じゃないんだ。だったら少しずつ調子を取り戻していけばいい。そうすればきっと勝利をつかめる。私はそう信じていた。ネットでは私と同じようにヤシャの復活を願う声もあったが、中には心にもないことを言う人も。
『シップウヤシャはもう潮時だ』
『陣営は何考えてんだ。シップウヤシャは終わった』
ああ、悔しい。はらわたが煮えくり返りそうだ。もうこの感情をどうすればいいのかわからない。私は強くこぶしを握る。信じるだけではだめなのか。こんな考えの私は甘いのか。それでも私は応援することとヤシャの無事を祈ることしかできない。
「みやこ。大丈夫?」
顔を上げると、すみれが心配そうな表情をしていた。いつの間にいたんだろう。私が気づけなかっただけかな。
「ちょっ、本当に何があったの!?」
「えっ?」
「そんなに泣いて……誰かに何か言われた?」
私、泣いてるの? 頬に触れると、指にしずくがつく。困惑している私に対し、すみれは静かな場所に移動しようと提案してくれた。すみれが連れて来てくれたのは緑豊かな公園。鳥のさえずりが心地いい。大学から少し離れたところにこんな落ち着いた公園があったなんて知らなかった。
「今日は運よく人もいないね。まぁ、無理にとは言わないけど、私でよければ話聞くよ?」
二人でベンチに座ると、すみれは優しく私に声をかける。競馬にハマっていると話したときに、どんな反応をされるか怖い気持ちがある。でも、誰かに吐き出してしまいたい。私は勇気を出して打ち明けることにした。たまたま見たレースでヤシャに惹かれたこと。それからヤシャの過去のレースを全部見たこと。今まで目もくれなかった競馬雑誌を買ったこと。ヤシャの厩務員さんのSNSを毎日チェックしていること。ヤシャが札幌記念を勝った後に足を怪我したこと。年明けに復帰したけど、レースに勝てないこと。そんなヤシャや陣営に対して心にもない言葉を言う人のこと。すべてを話した。
「あのさ、みやこ」
今まで黙って聞いていたすみれが口を開いた。一体どんな反応をされるのか。私は心の中で覚悟を決めた。
「なんなの!? そいつら最低じゃない!? 競馬ってちょっと負けただけでそんなボロクソ言われるわけ!? いや、ない! マジないわ! シップウヤシャだって関係者だってきっといろいろ頑張ってるはずだよ! みやこみたいにヤシャ推している人だっているのに!」
すみれはベンチから立ち上がって憤慨する。あまりに予想外の反応だったため、私はすみれを見つめることしかできない。
「みやこ! そんなやつらの言うこと気にしなくていいよ! これまで通りヤシャを応援しよう! ヤシャを推そう! 応援は推しにとって最大の力だよ!」
すみれは私の両手を握り、力説した。そうか。私はこのままでいいんだ。
「ああ、ごめん。熱くなっちゃって。私も推しがいるから他人事のように思えなくて」
すみれは苦笑しながらベンチに座る。すみれの推し。きっと舞台俳優の彼のことだろう。彼の話をしているときのすみれは本当にいきいきしている。バイトも公演を見るために頑張っているみたいだから前からすごいと思っていた。
「それにしてもみやこにもとうとう推しができたのかぁ。まさか、馬だとは思わなかったけど」
「私も競馬にハマるとは思わなかった」
「でも、いいじゃん。ヤシャの話してるときのみやこ輝いてるよ」
すみれは明るい笑顔を見せる。あなたが友達で本当によかったよ。私も自然と口角が上がっていた。
「ねぇねぇ、ヤシャの話もっと聞かせてよ! あっ、写真とかあるの?」
それからは日が暮れるまですみれにヤシャの話をすることになった。
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