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とうとうこの日がやってきた。去年怪我で回避した天皇賞秋にシップウヤシャが出走する。結局、ヤシャは重賞レースを一勝もできなかった。でも、私のやることは変わらない。まわりがどう思おうとヤシャを最後まで応援する。ヤシャより年上のベテランから今年活躍した三歳馬までどこを見ても傑物ぞろいだ。ヤシャの力はどこまで通用するだろう。全馬がゲートに収まってスタートした。うん。ヤシャはいいスタートを切ることができた。スタートから馬も騎手もお互いの出方を探っているように見える。中長距離はスピードだけでなく、相手との駆け引きも重要だ。それにG1のタイトルともなるとみんな喉から手が出るほど欲しいだろう。
あっ、そんなことを言っているうちにヤシャが囲まれた! このまま馬群に飲まれないといいけど。しかし、それは杞憂だった。最終コーナーに入ったところで馬群がばらけた。今だ。ここから追い込めば……そんな。ヤシャが加速しない。他の馬たちは我先にと前に行こうとしている。このままでは後ろに下がる一方だ。ああ、今回も。
『応援は推しにとって最大の力だよ!』
諦めかけた時、すみれの言葉が頭に響いた。そうだ。あきらめちゃだめだ。最後までヤシャを応援するって決めたじゃないか。
「いけー! ヤシャー!」
私は力の限り叫んだ。またあのときの走りを見せて! すると、思いが通じたのかヤシャはどんどん加速していく。
『おおっと、シップウヤシャ! 後方から猛烈な追い込みを見せる!』
ヤシャは力強い走りで先を行く馬たちをどんどん追い抜いていく。いけ! 間に合え!
『シップウヤシャ追いつくか!? 追いついた! ゴール!』
これは誰が見ても間違いない。
『一着はシップウヤシャ! 執念の勝利だ! 怪我と幾度の敗北を乗り越え、天皇賞春秋連覇達成です!』
「やったー! すごい! すごいよぉ! ヤシャ!」
私はヤシャの勝利を思いきり喜んだ。目からは涙があふれてくる。まさか、競馬を見て泣く日が来るなんて夢にも思わなかった。おめでとう。本当におめでとう。
夜、すみれから電話がかかってきた。どうやら天皇賞秋を彼女もテレビで見ていたらしい。シップウヤシャの勝利にすっかり高揚していた。
「いやー! すごかった! あそこからあんなスピード出るなんて! 本当にこの間まで調子よくなかったの?」
本当にこれまで勝ちきれなかったのが噓のようだ。一体あの力はどこから出てきたのだろう。
「みやこの応援がきっとヤシャに届いたんだね」
「ううん。ヤシャがすごいんだよ」
「またまた謙遜しちゃってー」
電話越しからすみれの明るい笑い声が聞こえる。怪我から復帰して積み重ねてきた努力が天皇賞秋でようやく実ったのだ。あなたはすごい馬だよ。ヤシャ。
「すみれ。ありがとう。私ね。諦めそうになった時、すみれの言葉を思い出したの」
すみれは不思議そうな声を出しているが、話を続けることにした。
「応援は推しにとって最大の力だって前に話してたでしょ。あの言葉のおかげで最後までヤシャを応援できたんだよ」
すみれが静かになってしまった。もしかして、忘れちゃったのかな?
「あれは私の推しの受け売りなんだ。ファンの応援が最大の力だって前に雑誌でコメントしててさ。私、競馬のことも馬のこともよくわからないけど、みやこみたいに応援してくれる人がいるならそうなのかなって思って」
すみれは朗らかな口調で話す。そうだったんだ。舞台俳優と競走馬じゃ全然違うけど、応援してくれる誰かがいるのは確かに共通している。私は心の中で納得した。
「私、これからも応援するよ。ヤシャのこと。どんなレースでも全力で応援する」
いつかターフを去るその時まで、私はシップウヤシャの勇姿をこの目に焼き付けよう。
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