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第1話 勇者追放
[矯正長室]
ゲエンナ監獄所統括者の室内は、割と広い部屋だ。
ただ、この部屋の主人がそれを小さく見せる。
矯正長セルゲイ・ボルフリーは、いつも眠そうな顔で、部下を見おろす。
「デイモン看守長。勇者アルマンは厄介な男だ。油断を見せてはならんぞ」
「はっ。心得ております」
ロバート・デイモンは、気負った様子もなく応じた。
黒髪に鷹の目の30代前半。一分の隙もなく制服を着こなしている。
「まったく、対勇者保護観察官の育成に予算を割かぬのは、国の怠慢だな。貴官の長期出張中に囚人どもが暴動を起こさぬか、気が気でない」
「所長。あまり上への不満は、広言なさらぬ方がよろしいかと」
「ここはワシの部屋だ。今だけは許されて然るべきだろうっ! ふー。ふー。優秀な人材を勇者追放の観察に割く余裕などないのだ。陛下がお決めになっておるのだから、近衛から出せばよかろうにっ。ウラジミールめ。まったく。勇者追放のために、なぜ毎度こちらが尻ぬぐいをせねば──」
「閣下。もうそのくらいで。またイスが壊れます」
ギイィ……ッ。
言ったそばから、ボルフリー矯正長のイスが不穏な悲鳴をあげて揺れた。
「うっ。まったく……これもそろそろ買い替え時だな」
「去年、買い換えたと聞き及んでおりますが」
「そうだったか? うぬぬ。庶務にもっといい物を買えと言っておかねばな」
「閣下。出立の前に、ひとつだけお聞かせ願えますか」
「ああ、なんでも聞いてくれてかまわんよ」
「はっ。すでに本国で〝魔王〟が再現したと噂で聞いておりますが。その真偽をお伺いいたしたく」
ボルフリー矯正長は眠そうに薄い眉の下をポリポリ掻くと、口を重そうに開いた。
「貴官の推測の通りだ。だが本国での復活ではない。そうでなければ、早すぎる。元勇者がここにいることと矛盾する。……どうも隣国トライバイトから流入してきたらしい。しかも2年も前だそうだ」
「それではトライバイト当局が、わが国で内々に処理しようと」
「うん。おそらくな。そのための無通告だ。どうやら出所が不都合な由緒らしい。彼らの〝不慮の事故〟を秘匿されたおかげで国防軍情報部が気づいたのが、半年前というていたらくだ。
泡を食って潜伏場所を調べておるようだが、いまだ特定できておらん。
この潜伏期間中にアレが町村に被害をもたらし、挙げ句、隣国へ逃れられては我が国が丸損だと、財務局長官までワシにグチを垂れ流していったよ」
「……」
「デイモン看守長。すまん……拠点の特定だけでよい。頼めるか?」
「国防軍情報部への貸し作り、ということでよろしいですか」
「無論だっ。ヤツらも我々〝獄卒〟にダシ抜かれたとあっては、面目も立つまい。まさに痛快事となろうっ!」
ギイッ!
「承知しました。では道中、そのように」
「うん。……気をつけてな」
デイモンは踵を鳴らして敬礼した。
「看守長ロバート・デイモン。これより陛下勅命により、勇者アルマン追放の保護観察に出立いたします」
§ § §
「よお。遅かったな」
通用口の前で待っていると、カーキ色の将校帽に、同色の外套を羽織り、飴色の木製警杖を携えて出てきた。
俺の〝お目付役〟だ。5年で見慣れた〝看守〟がやってくる。
「看守長、お元気で!」
「看守長。水には気をつけてくだせぇ!」
「お帰りをお待ちしてますぜぇ!」
檻房の格子窓から男たちの熱苦しい餞別の声援が飛んできた。別に言わなくてもいいけど、その中に俺への声は絶無。
「おー、すげぇすげぇ。あれ、全部おたくのファンかよ」
「いくぞ」
「手を振ってやらなくていいのか?」
「……」
「先は長いんだ。ちょっとくらい挨拶してやれよ」
デイモンは俺を軽くにらんでから、檻房棟に向かって帽子のつばを持った。すると男たちの茶色い声が大きくなった。
このゲエンナ監獄所は、こいつで持ってる。
5年入ってりゃあ、さすがに気づくボスの風格だ。
塀の中は常に団体行動。相互監視。自然、派閥という名の群れができる。
この監獄所には3人のボス格囚人がいる。
名前はいちいち挙げないが、他の看守や主任看守ならペーペー扱い。副看守長には隙あらば反抗的な態度を見せて嘲笑ってるロクデナシどもが、腕っぷしや恐怖ではなく、尊敬と畏怖に頭が上がらない感じだった。
俺は面白いと思った。
囚人にとって刑務官といえば、屈服させられる支配者。へたすりゃ敵だ。それなのにボス格3人をはじめ囚人たちはデイモンに対しては、回れ右。軍隊なみの従順を見せていた。
俺は、こいつを「看守」と呼んでいた。
それがなぜか囚人、刑務官の両方から不評だった。「長をつけろよ、金袋野郎」と、こうだ。そんなイキるボウヤには拳をもれなくプレゼントした。
一応、塀の中では負け知らずだった。なのに、なぜか俺には派閥というものができなかった。アルマン派を誰も擁立してくれない。
「で。看守よ」
「デイモンだ。ここからは看守ではなく、貴様の保護観察官となる」
嫌味か。それだと俺が元囚人みたいだろうが。無罪の投獄なのに。
「おれは、ファーストネームで呼び合うのが好みだ」
「デイモンだ。こちらは仕事だ」
「あっそ。んで、看守。俺はどっちから追い出されるんだ?」
「お前が決めていい」
「はあ?」
「好きな方へ歩き出せ。国外に宛てがあるなら、その国でも構わない。この国の果て。国境を越え、姿が見えなくなるまで見送るのが、私の任務だ」
「はぁ。さいですか……なら、それ貸せよ」
獄卒から警杖をひったくると、娑婆の路地に立てる。
どこでもいい。ここにはもう戻りたくない。そう念じた。
「……何をしている?」
デイモンがいぶかしげに声をかけてきた。
「いや、ほら。倒れた方に向かおうと思ったんだけどさ」
立てた警杖が倒れない。絶妙な安定感。風が吹いても倒れない。
「この棒が悪い。いや、良すぎる」
「ハァ……まったく何を言っているんだ。貴様は」
デイモンが立った警杖をひっ掴むと、俺に手を出してきた。
「あん?」
「金貨だ。コイントス」
「あっ。あ~ぁ。その手があったな。知ってたしってた」
金袋から金貨を1枚取って、俺は指で弾き上げた。
「待て。表裏、どっちがでたらどっちに行くんだ」
──チャリン……。
地面に跳ねた金貨を拾って、俺は拝んだ。恥も外聞もなく。
「決めてなかった。もう一回っ!」
「もういい。貴様が何かを決めるまでに、付き合う私の時間がもったいない」
警杖で、東を指し示した。
「この先に、セイリュートという集落がある。そこがこの監獄所から最寄りだ。日暮れまでにたどり着くとしよう」
「お、おう」
「アルマン。貴様もしかして、パーティ内では面倒くさいヤツだったのか?」
5年目にして初めて、この男の洞察力に傷ついた。
「ちょっと、久しぶりのシャバで調子が出なかっただけだよっ」
「……まあいい。さあ、歩け」
こうして、俺はどうやら東方面へ追放されることになった。
……カチャン、カチャン……カチャン……
腰にぶら下げたふたつの蹄鉄の打つ音が、ひさしぶりに戻ってきた。
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