第2話 勇者籠城

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第2話 勇者籠城

 ゲエンナ監獄所から東へ徒歩3時間。 「おーい、町はまだかあ~」  元勇者の不平とは関係なく、デイモンは足を止めて懐中時計をとりだした。 「おかしい」 「おかしいって……何がだよ。町が消えたとか言うなよ」 「馬車が来ない」 「はあ、馬車ぁ?」  懐中時計をしまうと、デイモンは警杖で行く手を指し示した。 「あそこの小高い丘を登り切ったところで、町は見えてくる。それまで歩け」 「その前に5分の休憩くださぁい」 「水を飲むことは認める。だが歩きながらだ。進め」 「水筒なんて持ってねーよ」 「貴様。本当に元冒険者なのか」 「いや、それはほら、さ。ね?」  デイモンはゆるゆると顔を振ると、前よりも歩調をはやめた。   §  §  §  悪い予感は的中した。  町に入るなり、人だかりがで来ていた。  そして、張りつめた男の怒号。泣き叫ぶ女の悲鳴。  デイモンは人垣の外側に立っている男性に声をかけた。 「何事か」 「えっ。あ、看守長さまっ! 囚人たちが、マーサとラナを人質に家に立て籠もってるらしいんですっ」 「交渉役は誰が?」 「ダンです」  デイモンはうなずくと、人垣を割って民家の最前線にいる衛兵のそばに歩み寄る。 「ダン。情況は」 「おお、旦那。ありがてぇ。囚人はオーク族2人、人族1人。マーサとラナ母娘を人質に、立て籠もりました」 「3人か……護送役は」 「あ、クライブ看守だけ、さっき窓からちらっと見かけました。負傷しているようです。ですが、今はもう」顔を振る。 「人質は?」 「母親のマーサは家の中にいるようですが、一度も顔を出しません。娘のラナばかり窓ぎわに出されて盾にされてます。手足の拘束はされていないようでした」 「うん。それで、一味に〝出戻り〟はいたか」 「ザントのやつがいました」  デイモンは思わず口の片端がゆがむ。 「ヤツらの要求は訊いたか」 「はい。馬車と食糧、それと薬だそうです」 「……仲間の残り1人が負傷しているな。マーサはその囚人とクライブの面倒を見ているのかもしれん」 「なるほど」 「馬車の捜索はしたか?」 「さっき人をやったんですが……あ、戻ってきました。──おい、こっちだ」  振り返ると、若い衛兵3人が汗だくで駆け寄ってくる。 「ダンさんっ。馬車、ありましたっ。えらいことになってましたっ」 「どうした」 「死体だらけです。サムソン看守もやられてました。それから馬車の周りに囚人が4人も倒れてて」 「いや5人だよ。少し離れたところで1人倒れたよ」別の同僚が付け加える。 「馬は? 馬車の馬はどうなった」  デイモンが鋭い眼光を向ける。彼らは緊張した様子で、 「一応、連れてきましたけど……」  デイモンは若者の肩を叩いて、うなずいた。笑顔はない。 「ダン。悪いが、その馬で監獄所まで報せに行ってくれ。くつわの識別(タグ)を見せれば向こうも緊急だと理解できる。ここは私がなんとかしよう」 「承知しました」 「あと、マーサの家の間取りが知りたい。詳しい者を呼んでくれないか」 「なら、うちのカミさんがしょっちゅう出入りしてますから呼んできます」 「頼む」  ダンが忙しなく駆け去ると、残された若い衛兵3人が手持ち無沙汰みたいな顔をして残った。 「手伝ってくれるのか?」 「は、はいっ……ダンさんから、デイモンさんの話はよく聞いてますっ」  盛られてなければいいが。 「ここの野次馬を全員、帰宅させるように言ってくれ。戸締まりをしっかりするようにと伝えるんだ。いいと言うまで誰も家を出るなと伝えろ」 「はい」 「それと、イスを2脚。テーブルを1脚。水差しとコップふたつ用意を頼む」 「えっ? それで、どうするんです?」 「できるだけ早く頼む。マーサの家の前に並べてくれたら、すぐにわかる」  デイモンは人垣を割ってやって来たダンの女房を見つけて、今度はそっちに移動した。 「アルマン」 「わかってる。こいつは長期戦だ。準備だけしといてやるよ」  デイモンは無言でうなずいた。   §  §  § 「ザント、いるなっ? 私だ。ロバート・デイモンだ」 「看守長っ!?」  民家の窓から、貧相に痩せた男が現れた。嬉しそうに懐かしそうに浮かべた笑顔を、デイモンは痛々しいモノを見る目で受け止める。 「ザント。どうした。なぜ戻ってきた」 「そ、それは……」 「お前が刑期を終えて出て行くあの日の寒さを、私はまだ憶えているぞ。半年も経っていないじゃないか」 「すみません。おれ……仕事、見つからなくて」 「監獄所の仕事はどれも労役だ。人のためにする仕事でなければ、お前のためにならないと言ったはずだぞ」 「はい……」 「また監獄所に戻って自分を見つめ直せ。人のために自分が何ができるかを考えろ」  男は泣きながら子供のようにこくこくとうなずく。と、その彼がいきなり横に吹っ飛んだ。 「ザントっ!?」 「だぁれに断って窓ぎわに立って外と話していいっていったよ。三下が」  現れたのは、緑色の肌をしたオーク族の大男。  下あご左から突き出た牙が半分欠けていた。手には護送役が携帯している片刃の剣を握っていた。  ここからでも刀身が赤黒く汚れているのがわかる。ひとりふたりの返り血ではなかった。 「その欠けた牙。お前……指名手配されていた男だな」 「ほぉお。オレの顔に見覚えがあるとは、お目が高ぇな。ぐっべっべっべ」  そこへ、頼んでいたテーブルとイスが運ばれてきた。籠城する民家の前に設置される。  デイモンは警杖を地面に立てて着席し、足を組む。水差しからコップに水を注いでひと口飲んだ。 「おい、てめぇ。なにしてやがる。なんのつもりだ」  返事はしなかった。だが、目配せで空いている席を促す。 「あぁん?」  そこからは犯人を見ることはなく、デイモンは西の地平に暮れる陽を眺めて水を飲む。 「てめぇ、無視してんじゃねえよ」  デイモンは応じない。たまに目が合うと目配せして空席を促す。応じなければまた無視する。 「この野郎っ。娘がどうなってもいいのか!」  オークは娘の首をひっつかんで、剣を鼻先に突きつけて脅してくる。娘は泣き疲れて、悲鳴をあげる元気もないようだった。  デイモンは動じない。同じ所作を繰り返す。  何も語らず、目配せで空席をさし続けた。そして無視する。  この態度にいい加減オークの方が焦れ始めた。娘を床へ放り出すと部屋の中をウロウロし始めた。 「なんなんだ。あいつ、なんなんだよ。クソがっ!」  やがて日が暮れると、テーブルの上にランタンが置かれた。  デイモンは動かない。  空気が黄昏(たそがれ)に変わり、獄卒が濃い闇から倍以上もある体格のオークを見つめる。その目に言いしれぬ光が宿り始めた。 「うっ、うううっ……チキショウッ」 「──座れ」  久方ぶりに発せられたデイモンの声は、深淵の闇から伸びた手のように暴漢の心臓を冷ややかに鷲掴んだ。  フラフラと家から出てきた理由を、オークは自分でも説明できなかったに違いない。席に着くと、水差しからコップに水が注がれ、勧められる。  オークは操られている気はしないのに、コップを持っていた。ひと息に飲む。うまかった。これほど水が甘露に感じ、身体にしみ渡ったのはいつ振りだったろう。 「ヌ・ジョルドゥだな。強盗、殺人、強姦、傷害致死、器物損壊で17犯」 「ああ」 「ここへ来る時、囚人も斬ったのか」 「あいつら、オレを置いて自分たちの鎖だけ外して逃げようとしやがった。看守を斬ったのはオレなのにだ。オレだけ看守殺しの貧乏クジを引くのは割に合わねえ。だから始末した」 「ザントを残したのは?」 「たまたま剣の軌道にあいつが外れただけ。それと、人手が欲しかった」 「お前には相棒がいたんだったな。今回一緒に捕まったのか」 「キンヴァルを……弟を助けてくれ」 「弟?」 「あいつはオレを逃がそうとしただけなんだ。看守に斬られて……それで」 「重傷か」 「たった今、息を引き取ったよ」  籠城の民家からアルマンが出てきた。勝手口から入ることは織込み済みだった。人質救出のための時間稼ぎだった。  オークは、アルマンを押しのけるようにして民家に飛びこんでいった。 「あああっ。キンヴァルッ。キンヴァルッ……うわぁあああっ!」 「アルマン。負傷した看守のほうは」 「そっちは運び出した。走行中に襲いかかられて馬車から墜ちたらしい。泥だらけで気を失ってるが、死にゃあしない」  と。男の悲声が、ふいに途絶えた。 「ラナッ、やめなさいっ! もうやめてぇ!」  女性の悲痛な叫び。デイモンとアルマンは急いで家に飛びこんだ。  巨大な緑の背に少女がまたがり、その太い首にナイフを何度も突き立てていた。  振り上げたナイフを、デイモンが警杖で弾きとばし、アルマンが背後から羽交い締めして死体から引き剥がす。 「もう死んだ。もう死んだって! 怖かったな。怖かったんだよなっ。もう大丈夫っ。もう大丈夫だからっ」  アルマンが興奮状態の少女を懸命になだめる。やがて緊張の糸が切れたのか、少女はわっと泣き出した。  錯乱する少女を抱きしめてやりつつ、アルマンはなんともいえぬ悲愴な目で看守長を見た。 「……」  デイモンは、部屋の隅で倒れている男を見下ろしていた。  オークに蹴られた時、運悪く、壁に頭から衝突したのだろう。首があらぬ方向に曲がって絶命していた。 「看守。人質母娘は全員無事だ。誰がなんと言っても大団円だからな」  アルマンの言葉に、デイモンはため息を飲みこむように顔をあげた。 「ああ、そうだな」   §  §  § 「なあ、寄り道ってできる?」  居酒屋の2階。ツインの部屋で、俺は看守に訊いてみた。 「3ヶ月以内に……出国を、完了、させる……。それが原則、だ」  眠そうな重い返事で、石頭が硬いことを言う。 「なら、その……ラスザークって町、いってみたいんだけど、さ」 「ラスザーク……南か。町をいくつか経由、する、必要……ある」 「昔のパーティだったアレンの故郷なんだ。そこでパン屋をやるのが夢なんだとさ」 「夢が叶っていれば……仲間が、いると」 「たぶんな。金貨1000枚もあれば、まあ、よゆーでパン屋開いてるって」 「妻子は」 「うん。〝おれ、魔王倒したら結婚するんだ〟って言ってた。5年前に」 「好きに……すると、いい。私は……貴様を観察、するだけだ」 「へいへい。そりゃどうも。んじゃ、明日な」  俺はランタンの明かりを消した。  なんでだろう。すごく興奮して寝付けない。  旅の目標が決まったからか。  それとも──、  久しぶりに血のニオイを嗅いだからだろうか。
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