7人が本棚に入れています
本棚に追加
第2話 勇者籠城
ゲエンナ監獄所から東へ徒歩3時間。
「おーい、町はまだかあ~」
元勇者の不平とは関係なく、デイモンは足を止めて懐中時計をとりだした。
「おかしい」
「おかしいって……何がだよ。町が消えたとか言うなよ」
「馬車が来ない」
「はあ、馬車ぁ?」
懐中時計をしまうと、デイモンは警杖で行く手を指し示した。
「あそこの小高い丘を登り切ったところで、町は見えてくる。それまで歩け」
「その前に5分の休憩くださぁい」
「水を飲むことは認める。だが歩きながらだ。進め」
「水筒なんて持ってねーよ」
「貴様。本当に元冒険者なのか」
「いや、それはほら、さ。ね?」
デイモンはゆるゆると顔を振ると、前よりも歩調をはやめた。
§ § §
悪い予感は的中した。
町に入るなり、人だかりがで来ていた。
そして、張りつめた男の怒号。泣き叫ぶ女の悲鳴。
デイモンは人垣の外側に立っている男性に声をかけた。
「何事か」
「えっ。あ、看守長さまっ! 囚人たちが、マーサとラナを人質に家に立て籠もってるらしいんですっ」
「交渉役は誰が?」
「ダンです」
デイモンはうなずくと、人垣を割って民家の最前線にいる衛兵のそばに歩み寄る。
「ダン。情況は」
「おお、旦那。ありがてぇ。囚人はオーク族2人、人族1人。マーサとラナ母娘を人質に、立て籠もりました」
「3人か……護送役は」
「あ、クライブ看守だけ、さっき窓からちらっと見かけました。負傷しているようです。ですが、今はもう」顔を振る。
「人質は?」
「母親のマーサは家の中にいるようですが、一度も顔を出しません。娘のラナばかり窓ぎわに出されて盾にされてます。手足の拘束はされていないようでした」
「うん。それで、一味に〝出戻り〟はいたか」
「ザントのやつがいました」
デイモンは思わず口の片端がゆがむ。
「ヤツらの要求は訊いたか」
「はい。馬車と食糧、それと薬だそうです」
「……仲間の残り1人が負傷しているな。マーサはその囚人とクライブの面倒を見ているのかもしれん」
「なるほど」
「馬車の捜索はしたか?」
「さっき人をやったんですが……あ、戻ってきました。──おい、こっちだ」
振り返ると、若い衛兵3人が汗だくで駆け寄ってくる。
「ダンさんっ。馬車、ありましたっ。えらいことになってましたっ」
「どうした」
「死体だらけです。サムソン看守もやられてました。それから馬車の周りに囚人が4人も倒れてて」
「いや5人だよ。少し離れたところで1人倒れたよ」別の同僚が付け加える。
「馬は? 馬車の馬はどうなった」
デイモンが鋭い眼光を向ける。彼らは緊張した様子で、
「一応、連れてきましたけど……」
デイモンは若者の肩を叩いて、うなずいた。笑顔はない。
「ダン。悪いが、その馬で監獄所まで報せに行ってくれ。くつわの識別を見せれば向こうも緊急だと理解できる。ここは私がなんとかしよう」
「承知しました」
「あと、マーサの家の間取りが知りたい。詳しい者を呼んでくれないか」
「なら、うちのカミさんがしょっちゅう出入りしてますから呼んできます」
「頼む」
ダンが忙しなく駆け去ると、残された若い衛兵3人が手持ち無沙汰みたいな顔をして残った。
「手伝ってくれるのか?」
「は、はいっ……ダンさんから、デイモンさんの話はよく聞いてますっ」
盛られてなければいいが。
「ここの野次馬を全員、帰宅させるように言ってくれ。戸締まりをしっかりするようにと伝えるんだ。いいと言うまで誰も家を出るなと伝えろ」
「はい」
「それと、イスを2脚。テーブルを1脚。水差しとコップふたつ用意を頼む」
「えっ? それで、どうするんです?」
「できるだけ早く頼む。マーサの家の前に並べてくれたら、すぐにわかる」
デイモンは人垣を割ってやって来たダンの女房を見つけて、今度はそっちに移動した。
「アルマン」
「わかってる。こいつは長期戦だ。準備だけしといてやるよ」
デイモンは無言でうなずいた。
§ § §
「ザント、いるなっ? 私だ。ロバート・デイモンだ」
「看守長っ!?」
民家の窓から、貧相に痩せた男が現れた。嬉しそうに懐かしそうに浮かべた笑顔を、デイモンは痛々しいモノを見る目で受け止める。
「ザント。どうした。なぜ戻ってきた」
「そ、それは……」
「お前が刑期を終えて出て行くあの日の寒さを、私はまだ憶えているぞ。半年も経っていないじゃないか」
「すみません。おれ……仕事、見つからなくて」
「監獄所の仕事はどれも労役だ。人のためにする仕事でなければ、お前のためにならないと言ったはずだぞ」
「はい……」
「また監獄所に戻って自分を見つめ直せ。人のために自分が何ができるかを考えろ」
男は泣きながら子供のようにこくこくとうなずく。と、その彼がいきなり横に吹っ飛んだ。
「ザントっ!?」
「だぁれに断って窓ぎわに立って外と話していいっていったよ。三下が」
現れたのは、緑色の肌をしたオーク族の大男。
下あご左から突き出た牙が半分欠けていた。手には護送役が携帯している片刃の剣を握っていた。
ここからでも刀身が赤黒く汚れているのがわかる。ひとりふたりの返り血ではなかった。
「その欠けた牙。お前……指名手配されていた男だな」
「ほぉお。オレの顔に見覚えがあるとは、お目が高ぇな。ぐっべっべっべ」
そこへ、頼んでいたテーブルとイスが運ばれてきた。籠城する民家の前に設置される。
デイモンは警杖を地面に立てて着席し、足を組む。水差しからコップに水を注いでひと口飲んだ。
「おい、てめぇ。なにしてやがる。なんのつもりだ」
返事はしなかった。だが、目配せで空いている席を促す。
「あぁん?」
そこからは犯人を見ることはなく、デイモンは西の地平に暮れる陽を眺めて水を飲む。
「てめぇ、無視してんじゃねえよ」
デイモンは応じない。たまに目が合うと目配せして空席を促す。応じなければまた無視する。
「この野郎っ。娘がどうなってもいいのか!」
オークは娘の首をひっつかんで、剣を鼻先に突きつけて脅してくる。娘は泣き疲れて、悲鳴をあげる元気もないようだった。
デイモンは動じない。同じ所作を繰り返す。
何も語らず、目配せで空席をさし続けた。そして無視する。
この態度にいい加減オークの方が焦れ始めた。娘を床へ放り出すと部屋の中をウロウロし始めた。
「なんなんだ。あいつ、なんなんだよ。クソがっ!」
やがて日が暮れると、テーブルの上にランタンが置かれた。
デイモンは動かない。
空気が黄昏に変わり、獄卒が濃い闇から倍以上もある体格のオークを見つめる。その目に言いしれぬ光が宿り始めた。
「うっ、うううっ……チキショウッ」
「──座れ」
久方ぶりに発せられたデイモンの声は、深淵の闇から伸びた手のように暴漢の心臓を冷ややかに鷲掴んだ。
フラフラと家から出てきた理由を、オークは自分でも説明できなかったに違いない。席に着くと、水差しからコップに水が注がれ、勧められる。
オークは操られている気はしないのに、コップを持っていた。ひと息に飲む。うまかった。これほど水が甘露に感じ、身体にしみ渡ったのはいつ振りだったろう。
「ヌ・ジョルドゥだな。強盗、殺人、強姦、傷害致死、器物損壊で17犯」
「ああ」
「ここへ来る時、囚人も斬ったのか」
「あいつら、オレを置いて自分たちの鎖だけ外して逃げようとしやがった。看守を斬ったのはオレなのにだ。オレだけ看守殺しの貧乏クジを引くのは割に合わねえ。だから始末した」
「ザントを残したのは?」
「たまたま剣の軌道にあいつが外れただけ。それと、人手が欲しかった」
「お前には相棒がいたんだったな。今回一緒に捕まったのか」
「キンヴァルを……弟を助けてくれ」
「弟?」
「あいつはオレを逃がそうとしただけなんだ。看守に斬られて……それで」
「重傷か」
「たった今、息を引き取ったよ」
籠城の民家からアルマンが出てきた。勝手口から入ることは織込み済みだった。人質救出のための時間稼ぎだった。
オークは、アルマンを押しのけるようにして民家に飛びこんでいった。
「あああっ。キンヴァルッ。キンヴァルッ……うわぁあああっ!」
「アルマン。負傷した看守のほうは」
「そっちは運び出した。走行中に襲いかかられて馬車から墜ちたらしい。泥だらけで気を失ってるが、死にゃあしない」
と。男の悲声が、ふいに途絶えた。
「ラナッ、やめなさいっ! もうやめてぇ!」
女性の悲痛な叫び。デイモンとアルマンは急いで家に飛びこんだ。
巨大な緑の背に少女がまたがり、その太い首にナイフを何度も突き立てていた。
振り上げたナイフを、デイモンが警杖で弾きとばし、アルマンが背後から羽交い締めして死体から引き剥がす。
「もう死んだ。もう死んだって! 怖かったな。怖かったんだよなっ。もう大丈夫っ。もう大丈夫だからっ」
アルマンが興奮状態の少女を懸命になだめる。やがて緊張の糸が切れたのか、少女はわっと泣き出した。
錯乱する少女を抱きしめてやりつつ、アルマンはなんともいえぬ悲愴な目で看守長を見た。
「……」
デイモンは、部屋の隅で倒れている男を見下ろしていた。
オークに蹴られた時、運悪く、壁に頭から衝突したのだろう。首があらぬ方向に曲がって絶命していた。
「看守。人質母娘は全員無事だ。誰がなんと言っても大団円だからな」
アルマンの言葉に、デイモンはため息を飲みこむように顔をあげた。
「ああ、そうだな」
§ § §
「なあ、寄り道ってできる?」
居酒屋の2階。ツインの部屋で、俺は看守に訊いてみた。
「3ヶ月以内に……出国を、完了、させる……。それが原則、だ」
眠そうな重い返事で、石頭が硬いことを言う。
「なら、その……ラスザークって町、いってみたいんだけど、さ」
「ラスザーク……南か。町をいくつか経由、する、必要……ある」
「昔のパーティだったアレンの故郷なんだ。そこでパン屋をやるのが夢なんだとさ」
「夢が叶っていれば……仲間が、いると」
「たぶんな。金貨1000枚もあれば、まあ、よゆーでパン屋開いてるって」
「妻子は」
「うん。〝おれ、魔王倒したら結婚するんだ〟って言ってた。5年前に」
「好きに……すると、いい。私は……貴様を観察、するだけだ」
「へいへい。そりゃどうも。んじゃ、明日な」
俺はランタンの明かりを消した。
なんでだろう。すごく興奮して寝付けない。
旅の目標が決まったからか。
それとも──、
久しぶりに血のニオイを嗅いだからだろうか。
最初のコメントを投稿しよう!