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第5話 デイモンの推測
暗い森を駆ける。
馬の背に、はりつくほどの前屈み姿勢で、暗黒の風を突き進む。鼻先にたてがみが掠めるたび、いい知れない胸騒ぎが濃さを増す。
デイモンが前を駆る。徘徊死霊の元凶になっているというモノを見つけたらしい。だがあいつでも壊せなかった──デイモンは装置といった──をどうして自分が壊せるのか。
どうしてデイモンは獄卒なのに、こんな動物すらも近寄らなさそうな森の奥に半日もかけて踏み入ったのだ。
あの看守長はいったい何者なんだ。
獄卒や保護観察官以外にも別の顔があるのか。
(ある……だろうなあ)
ロープでつながれた2頭の馬を、相手の動き似合わせながら即興で乗りこなすのは容易ではない。騎士ですらやれない曲芸だ。
それに油にシーツを染みこませて死霊に使う機転。獄卒とは畑違いの衛兵、しかも初対面の連中を心服させる統率力。
こんな人間がいるのか。
こんな獄卒がいるのか。
「ここからは馬を下りていくぞ」
前から声をかけられて我に返る。言われた通り馬を止めて地上に下りる。
ずぶりと靴底が沈んだ。森の中は湿気が強い。
「足跡は、つけて大丈夫なのか」
「問題ない。アレを造った人間は戻ってくる理由が、もうここにはない」
「どういうことだ?」
「おそらく──」カンテラの明かりで浮かんだデイモンの顔は悪魔のようだった。「死霊呪術とは、そもそもが使い捨てなのだろう」
「なぜ死霊呪術だとわかったんだよ。だいたい、なんでそんなモノがここにあるって?」
「質問が多いぞ」
「だってさ……」
「前の質問は、ひと目見てそうとしか思えなかったからだ。後の質問は、そんなモノがあるとは思ってなかった。私はここに別のモノを探しに来ていた」
「別のモノ?」
「上からの命令だ。それ以上はいえない」
「公務でここまで?」
「当然だろう。でなければ、こんな寂しい所、頼まれても来ない」
「確かにな。でも、よくこんな暗闇を進めるな」
「勘だ」
「勘っ!?」
「禍々しさ……と表現するべきか。人を不安にさせるニオイとも言うべきか」
「ニオイ?」
「うまく表現できない。私にはそれを嗅ぎつけられるほどに鼻が利くのだそうだ」
「自覚ないのかよ」
「ないな。上司に言われて、そうなのかくらいに思ってる。だからこんな時間外労働をさせられるハメになった」
「時間外労働って?」
「追放勇者のお見送りだ」
「結局、俺のせいかよっ!?」
ふいに沈黙すると闇に飲み込まれてしまいそうでいたたまれなくなる。
「アルマン。どうして、昔の仲間のその後が気になったんだ?」
向こうから質問されたので、少し気が楽になった。だが答えるにはちと難しい。
「わからねぇよ。この5年。俺が牢の中で考え続けたのは、魔王と仲間のことだけだった」
「……」
「あいつらとは金のためにいろいろ無茶したけど、それなりに楽しくてさ。最初は、あのジジイが魔王だとはわからなかった。
魔王は強さも誇らず、静かに何かを狙ってて、俺たちとはたまたま目的がカチ合った単独冒険者かなんかだと思ってた」
「……」
「ヤツの剣先はすごくて。毎回先手をとられた。すぐに『あ、もしかしてこのジジイ』って、俺もダレンも泡を食った。仲間がいなけりゃ、あの場で絶対にやられてたよ」
「よく生き残れたな」
「まったくだ。いや、いまだに勝てた気がしてねぇ。そのせいかなんなのか、ヤツが死に際で呟いた言葉が耳から離れねえんだ」
「何かいったのか」
俺は少しだけ誇らしげに声を弾ませた。
──〝世界は、次にお前を選んだのだな〟ってさ。
「なかなか魔王にしちゃあ渋い捨て台詞だろ?」
カンテラの明かりがこちらを振り返った。
「な、なんだよ」
「着いたぞ。用心しろ」
カンテラの光量が前を向いた。
その先に人影らしき闇を照らした。と、その中で赤い小さな光が反射した。
俺は思わず走り出していた。
ぬかるんだ泥に足を取られながら無我夢中で走った。
「待て、アルマン! そこから先は──」
デイモンが何か叫んでいたが、聞いちゃあいなかった。
地面に横たわる人影にむしゃぶりついた。抱きかかえると軽くて、薪にする前の干した丸太のようだった。
彼女は、後ろ手に両手首を縛られて、すでに死んでいた。
「うそだろ、そんな……っ。テレジアっ。テレジアぁ! うぁああああっ」
死後1年以上が経過しているとみられ、森の湿気の中でなぜかミイラ化していた。
俺が、かつての食いしん坊な修道女だとわかったのは、赤い宝石の入った十字架と直感。看守長いうところの、この女性ミイラがテレジアだというニオイだった。
「誰が、誰がこんな惨いことをっ。畜生ぉ。殺してやるっ。ぜってぇぶっ殺してやるっ! テレジア、ごめんな。ごめんなぁ!」
悲しみが水の中に落とした染料みたいにそっと底へ広がって溶けていく。
もはや無色透明ではいられない、別の何かに染まっていく。
§ § §
そして、夜が明けた。
カーキ色の外套にくるみ、テレジアの遺体を町まで運んだ。
デイモンがためらわず彼女のために外套を差し出してくれた時、俺は涙が止まらなかった。
「なんで、あんたみたいないいヤツが、獄卒なんてやってんだよ」
予測してなかった質問だったのか。デイモンが珍しく、迷った表情を見せた。
「あの時は……天涯孤独の身が生き残るには、獄卒になるしか術がなかった。そう、選択肢が他になかった」
生き残る。俺は拾ったはずの言葉が砂に染みこんだ水みたいで有難味がなかった。
町に戻ると、衛兵たちが城壁の前で焼け焦げた人影を荷馬車に積み上げる作業をしていた。
「町は生き残れた、のか」
「そのようだな」
すると、城壁防衛の指揮官だった衛兵が駆け寄ってきた。その表情は徹夜明けか青ざめていた。
「あんた達、待ってましたよ!」
「何があった」
デイモンはすぐに馬を下りた。俺もテレジアを抱えつつ、それに習う。
衛兵はその誠実な姿勢に打たれたのか、表情を引き締めた。
「昨夜、教会の地下から避難所が襲われまして、徘徊死霊がそこから殺到してきたらしいのです」
「しまった。地下墓地の遺骸まで復活したのか」
デイモンが失態をにじませて吐き捨てた。
「それじゃあダレンはっ、あいつはどうなんったんだっ!?」
「はい……。ダレン副町長と衛兵長たちがなんとか押し返したんですが、その……全員、殉職されました」
俺はテレジアを胸に抱えたまま教会へ走り出していた。
教会の聖堂に入ると、ベンチが壁ぎわに寄せられ、毛布を掛けられた起伏が8つ並んでいた。そこに男女の別なく、住民たちが勇敢に戦った戦士への哀悼を捧げている。
「ダレンっ。どこだ。ダレン!」
「どなた?」
か細い女性の声があった。童顔の若い女性で、かたわらに小さな娘を座らせていた。
「ダレンの女房か。アルマンだ。聞いてないか」
「勇者の?」
その呼び名が今ほど無力に響いたことはなかった。
「ダレンは」
女性は疲れた様子でうつむくと、娘の手を引いてその場を譲った。
「身体は見ないであげてください。死霊にひどくやられてしまいましたから」
毛布をそっとはぐる。血の気のない友がやや頬を苦悶にゆがめ、唇を虚ろに半開きにして眠っていた。
「ダレン。なんで、お前……っ」
「夫は、地下蔵の壁を破って入ってきた死霊たちを押し返してくれたんです。外は魔王を倒した勇者が護ってくれてる。ここを押し返せば家族を護れるんだって。みんなを励まして戦ったんです」
「……」
「夫は、私たち家族の勇者でした」
俺は鼻から大きく息を吸った。
「ああ、お前こそが勇者だよ。ダレン」
毛布を顔に掛けてやり、立ち上がる。それからそのそばにテレジアを置いた。
「それは?」
「俺とダレンの仲間で、テレジアだ。彼女も〝屍鵺〟にやられた」
「そうですか……」
「金は明日持ってくる。神父さんに弔ってもらえるように頼んでおいてくれないか」
「ええ。それは、構いませんけど」
「頼む」
それだけ言うと、俺は聖堂を飛び出した。駆けながら誰もいない場所を探した。
「〝屍鵺〟どこにいやがる……ぜったい許さねえ、ぜったいにっ」
§ § §
宿にしている居酒屋の2階に戻った時には、すっかり夕方になっていた。
部屋でデイモンがベッドに腰掛けていた。すっかり身支度を調えており、外套も新しい物を身につけていた。
俺は彼のいつも通りの姿にホッとした。
「気が済んだか」
「んなわきゃあ、ねぇだろ」
その訳知り顔が今日一日の俺の行動をすべて見透かされてる気がして、なぜか急に照れくさくて顔を背けた。
「むしろ、どうやってあんたがあの場所を知ったのか教えてもらいたいね」
「ふむ。ラスザークの前の町で、ある男から情報を聞いた」
「どんなだ?」
見つめたまま向かいのベッドに腰掛ける。
「〝屍鵺〟に関する情報だった。私は〝屍鵺〟の根城を聞いたつもりだった。するとその男は森に根城があるといった。私には奇妙だと思った」
「奇妙? なんでよ」
「〝屍鵺〟は夜盗だといったんだ。盗賊とは、襲う標的や警備の情報を常に知る必要があるから、町から遠ざかって暮らしているのは不自然だと思った」
「そりゃあ……けど衛兵や追捕騎士から身を隠してたんじゃねえの?」
「貴様は、昨夜の戦いで何を学んだ。あれが〝屍鵺〟の手口だ」
「んと、徘徊死霊で町ごと襲って、その後で金品を拾い集めていくって?」
「そうだ。衛兵ごと襲うんだ。だから現段階で手に入れられる情報は町が徘徊死霊に〝襲われた後〟の惨状しかわからない。今回生き残れた町は、ここ、ラスザークだけだ。
それなのに、その男はどこから〝屍鵺〟活動の情報を手に入れた?」
「そいつも先に町から逃げ出したクチだからじゃねえのか?」
「ふむ……」
「あのさ。その、『このバカにどう説明したものか』って目でこっち見るのやめてもらえませんかねえ」
「いいか。アルマン。俺は、その男に〝屍鵺〟の根城の噂を訊いたんだ」
「うん。それさっき聞いた」
「その男は、誰も〝屍鵺〟の正体を見た者がいないと前置きしたにもかかわらず、西の森だと具体的な場所を指定した。おまけに、その森へ入って探してみたら、徘徊死霊の呪術装置のようなものを見つけた」
俺は目をパチパチさせた。
「てことは……その男が〝屍鵺〟?」
「そうとしか考えられない。よって、矢が教会に放たれて、徘徊死霊が来るまでの数日の空白は、その男が標的となった町から離れて自分の痕跡が消える日数だ。同時に、次に襲う町の下調べを行う日数でもある」
なら、いちいちそんな回りくどい説明いらなくね?
「じゃあ、そもそも〝屍鵺〟はどうして、あんたにそのことを教えたんだよ?
「おそらく、彼は結果を知っていたから、教えたんだと思う。事実、私ではあの呪術装置──〝魔法陣〟を解呪できなかった」
「えっ。魔法陣……そんなのあったか?」
「やれやれ。やはり貴様には見えていなかったようだな。私が特別なのか、貴様が特別なのかは、この際、不毛なので議論はしない。
お前が魔法陣の中の彼女に目を奪われて、あっさり体当たりで壊してしまったのだからな」
「看守さんよ。まるで大失態みたいな口振りだが、よくよく聞けば、俺の大手柄なのでは?」
「不用意に魔法陣に飛び出していって、魔法陣がマナ暴走で爆発して、私まで吹っ飛んだらどうしてくれる」
でも結果オーライじゃん。なのに褒められない。解せない。
「じゃあ、この町は残ったぞ。次にあいつはどうするんだ?」
「それを今、考えている。……そういえば、修道女の亡骸はどうした」
「教会に預かってもらってる。明日、神父に金を渡して弔ってもらおうかと」
「そうか……それならもう少し、この町に逗留するのだな」
デイモンはゆっくり立ち上がると部屋を出て行こうとするので、慌てて腕を掴んで引き留めた。
「なんだ。私は今、腹が減っている」
「奢らせろ。あんたには世話になりっぱなしだ」
「ほう、殊勝な心がけだな。だがいいのか。神父の心付けに金貨20枚。彼女は修道女だそうだから、もう少し安くなるかな」
「は?」
「女性の棺代に、金貨12枚。墓堀りに銀貨5枚。そうそう、ダレンだったか。彼の遺族にも弔慰金を包んでやってもいい。金貨5枚」
「あの、もしもし。看守さん?」
「明日一日で金貨が47枚も軽く飛ぶ。この先この国を出ても冒険者として暮らすのなら、金はもう少し計画的に消費することを勧める」
「急に現実を持ち出すの、やめろよ」
「私の忠告を聞く聞かないは勝手だ。泣きを見るのは貴様だからな。後で奢った分の取立てはナシだぞ」
「見損なうなよ。そこまで俺も……えっ、マジ?」箍を外して飲む気か。
「さあて、言質は取った。他人の金で飲む酒は何年ぶりかな。楽しみだ」
デイモンは悠々とドアを開けて部屋を出て行った。
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