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寿司を食べた。
小皿には醤油が残っている。
そこでふと考えた。
今まで、小皿の醤油を使い切ったことなんてない。
いつも小さじ3分の1ぐらいは残っている。
もったいない。
一人分だとたかが知れている廃棄醤油量
しかし、寿司は恐ろしいほど多くの人間が食するものだ。
1年間で日本人が寿司を食べた際に廃棄する醤油の量は、月に一回寿司を食べるとすると、
5cc(小さじ一杯の三分の一)×12×1億人=60億cc=600万L
1年間に日本人が残す醤油で25メートルプールが12個埋まる。
SDGsが提唱される今日、このような無駄を見逃してはいけない。
だからといって、小皿を持ち、ぐいっといくわけにもいかない。
本当か?ぐいってしちゃダメなのか?
別にいいんじゃないの?
確かに塩分は気になる。小さじ一杯にも満たない量であろうと、醤油は醤油だ。そのまま飲むにしては塩分が多い。
しかし、この醤油をスープにすると考えて欲しい。
スープにする場合、ここに出汁を入れることとなるだろう。
この場合、醤油は最後に回し入れる味の調整役を先に担うこととなる。
このスープと小皿に入った醤油を比べると、醤油の方が出汁の塩分が含まれていないため、相対的に塩分が少ない。
じゃあ問題ないのでは?
ぐいっといってもいいんじゃない?
また、醤油だけで作ったスープと考えることもできる。
醤油に少しお湯を足したとしよう。
ほんのちょっとだけだ。
果たしてそれは、薄口醤油なのか、それとも濃いめの、醤油をベースにしたスープなのか、このいずれかに決定しろと言われた時、誰がそれを決める事ができるだろう。
何ccの水分を足せば、それは薄口醤油からスープへと変化するのか?
その境目は誰も決めてくれない。
だったら私が決めればいい。
1ccでも入れば、それはスープだ。
薄口醤油などという境界線は存在しない。
なぜなら寿司に濃口醤油は使われない、初めから薄口醤油が使われる。
それを更なる水分で薄めたのであれば、それはもはや醤油ではない。スープだ。
そう考えるより先に体が動いていた。
茶が入った湯呑みを手に取り、そこから、醤油が入った小皿へと湯(茶)を注ぐ。
ほんの少しだけ。
そして、間髪入れずそれを飲む。
一人が取り組む事で、問題が解決できる訳じゃない。
しかし、その取り組みが10人、100人、1000人と増えていき、その輪が広がる事で、食い止められる問題もあります。
未来の地球のために、私たちの世代ができること。
それがSDGs(Soy sauce Drinking Generations 醤油飲み飲み世代)なのです。
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