私の価値

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私の価値

生活の一部だけで自分の価値を見出してしまう。 例えば「食器」——。今日の昼間フッとコーヒーが飲みたくなったの、カップやティースプーンは大体洗ったらそのまま食洗機の中に放置しっぱなし。中を覗くと私のマグカップはなかった、昨日もコーヒー飲んだのに何故か私のマグカップ「だけ」戸棚の隅っこにポツンと片付けられていた。 少し高い位置のそこへは思いっきり背伸びして腕を伸ばす、決して低いわけではない私の身長でもギリギリ届く高さのこの戸棚はきっと、この家を設計する時に携わった人たちが皆巨人並みに背が大きかったんだろうと思うことにしている。 コポコポとお湯を沸かして、インスタントコーヒーに注げば柔らかい香り立つお気に入りのコーヒーの出来上がり。近頃寒くなってきたからコーヒーの調達も早めにしないと、と頭の中で思い描きながらリビングに戻るとソファから彼が顔を出して笑って言った。 「なんだよ、俺の分は淹れてくれないのか?」 「ふふっ、そーくると思ってちゃんと用意してるわよ。」 左手には色違いで買ったお揃いの彼専用マグカップ、苦いのが苦手な彼のために少しの砂糖と牛乳を混ぜたオリジナルコーヒー。彼は付き合い始めた頃から、私の淹れるコーヒーが好きだと言ってくれる…そう、コーヒー「が」好きなんだと。マグカップを差し出すと彼は嬉しそうな顔で一言だけ私に告げるとすぐに視線を落とす、その先は楽しげに他の女とラインしているスマホの画面。 彼にとって私は「コーヒーだけの女」なのだ。どんなに付き合いが長くても、どんなに性格の相性が良くても、どんなに身体を重ねても…彼の中ではコーヒー程度の価値しか私にはない。 「なぁ、明日さ休みだろ?どっか出かけね?」 「ぇ、あ…私とっ?!」 「ふはっ!他に誰がいんだよ、お前しか今俺の隣にいないだろ?」 いつもとは少しだけ違う、小さな甘さを加えたような優しい声と眩しい笑顔で私だけを見つめる彼。持っていたスマホはソファへ投げ捨てられ、取られていた視線は私だけに向いている。 どうしよう、どうしよう! 彼が一緒に出かけようと言ってくれた!私に、他の価値を与えてくれている! あまりの嬉しさに声が上擦り言葉がうまく出てこない、そんなしどろもどろする私の頭をひと撫でして彼は「寝坊すんなよ」と笑って自室へ向かってしまった。夢じゃない…?しばらく呆けていると壁に掛けてある時計が深夜を告げる、その音にハッと我に返り残っていたコーヒーを飲み干して軽く濯いで食洗機に入れた。最低限のスキンケアを施し、明日は寝坊しないようにアラームを複数セットしてベッドに入る。彼との夢のような一日を心で描きながら瞼を閉じた——。 ——翌朝、何度目かのアラーム音で目が覚める。 時計を見るとまだ少しだけ余裕がある、身支度をする前に眠気覚ましの一杯をしようとキッチンへ向かう。我が家の食洗機は静音タイプ、おまけに昨日寝る間にスイッチを入れたので中を除けば綺麗になったマグカップがそこにある…はずだった。 確かに入れたはずの場所に私のマグカップがない、それだけではない彼のマグカップも消えていた。 もしかして早起きした彼が珍しく自分で淹れたのかな?その考えが過った瞬間、ポケットに突っ込んでいたスマホから大きなアラームが鳴り響いた。昨晩セットした複数のアラームの一つ、起きた時には既に五回も鳴っていたようなので彼はこの音で起きたのかもしれない。申し訳ない気持ちを抱え、リビングにいるであろう彼に謝るために足を向ける。 「おはよう、ごめんなさい。アラームうるさかっ、たよ、ね…」 扉を開けるのと同時に放った言葉は、部屋のどこにも当たることなく溶けていった。 いると思っていた彼の姿はない、テーブルの上も昨晩のままで誰か使った形跡はない。まだ寝ているのかな…?そう思いながら中へ入るとコツンっ、と足に何かが当たったのを感じた。視線を足元に落とすとそこには、何重にも重なったビニール袋に入れられた粉々になった見慣れたマグカップがあった。 私のものではない、彼専用のマグカップ——よく見ると床には少し凹んだ跡と小さなハンマーが残っていた。落としたのではなく、故意的に割ったのか。慌てて彼の部屋へと向かう、軽くノックしても反応がない。そっとドアを開けると、部屋の中はもの毛の殻で昨日まであった彼の服や小物が無くなっていた。 「な、んで…?」 靴箱を見るとごっそりと彼の靴はなくなり、共用で貯めていた銀行通帳も引き出しから姿を消していた。 昨日はあんなに優しかったのに、なぜ…?あの笑顔はなんだったの?どうして最後に優しくしたの?ずっと問うても誰が答えるわけでもない、無意味なことと分かっていながら止まらない。 答えを口にするのが恐ろしい。 幾度も答えない問いを繰り返して、頭の中が真っ白だ。何かを感じてフッと、視線を少しあげると中途半端に開いた戸棚が映る。背伸びして扉を開けるのと、戸棚の一番高い場所に探していたものを見つけた。 私の価値は、コーヒーだけ。 一瞬でも他の価値を期待した私への罰なのでしょうか? いつもと同じ場所にいない、私専用のマグカップ——あなたの価値はギリギリ届く場所でひっそりと彼と時間を共有するためのもの、それが瞬きの間に見えた一番欲しかった価値を引き出してくれた瞬間この有様…。 なんて不毛な恋だったんだろう。 突きつけられた現実に、鳴り止まないアラームと唯一彼が残して行った店の名刺だけが淡い夢を見ている。
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