予知夢 一

1/1
前へ
/2ページ
次へ

予知夢 一

風が吹いていた。 肌に触れる大気はきんと冷たく、鋭さを感じる。遠く眼下に見えるは、不規則に四角柱の並ぶビル群。それを映す視界の隅には緩やかに上下する純白の翼があった。 高所にいる恐怖感は無く、むしろ僅かな高揚感が辺りに漂っているようで、線香の煙みたいに浮いているのが見えるんではないかというくらいだった。 視線を、左側から前方へとゆっくり動かす。空気が氷柱のように顔面をさす。寒さが体内にまで染みてきた。視界の下の方に見える白い(たてがみ)を持つ頭部が、すっと上を向く。次いで私の跨る背面も斜め三十度程の角度で上昇を始めた。 進む先に雲を見つけた。ただの雲ではなかった。円に近い形の大きな雲の中心ら辺に、ぽっかりとまるい穴が空いている。その奥には明るい空の色が広がっている。 どんどん接近していく。あと五百メートル。高度と寒さで耳が痛くなってきた。一度暖かい所に行って休みたい。この体勢は疲れる。あと三百メートル。やはりかなり綺麗な円形の穴が雲に空いていた。直径二百メートルくらいか。こんな雲ができることが可能なのか。あと二百メートル。穴の中心に特に明るい空間が見える。そこからぼんやりとした光が発散していた。あと百メートル。穴の中心に向け、少し軌道修正された気がする。あと五十メートル。空気が更に冷たくなる。あと十メートル。穴の中心まで、もうあと少しだ。あと一メートル。凍てついた風が、ぶわっと音をたてた。 辺りが、目眩い光に満たされる。思わず目を瞑った。 ------一瞬、時の流れが止まったのかと思った。 びゅうびゅうと吹いていた風は止み、ゆっくりと空を切る翼の立てる音が耳に入る全てだった。他には何も聞こえない。肌に触れる空気は、鋭いが暖かい。 耳の痛みが少しずつ引いていき、目の前の眩しさがおさまったのを感じて目を開けた。 すると、驚くべき光景がそこにあった。 自分の周りに筒状の壁が高くそびえていた。そしてその表面を、監視カメラのモニターのように、様々な画像が埋めている。しかも、その画像が動いている。早送り、巻き戻し、中にはギャザー処理されたようなもの、無論、通常再生のものもある。その全てが、私の記憶の中にある景色だった。 それを認識した途端、ザーッと雑音が耳に飛び込んできた。と思うとすぐに音は消え、映像の壁もなくなっていた。代わりに、広大な青空が広がっている。 落ちないようにゆっくりと振り返って後ろを見ると、下の方に先程潜ったものであるらしき穴が見えた。更に下へ、下へと遠ざかっていく。横移動より上昇のペースが早いらしい。しかし不思議な事に、気圧の変化は感じない。そのうち明らかな横移動になり、少しずつ速度が緩やかになった。 頭上には、水が滴り落ちてきそうな程に透明感のある(あお)い空。下方には、そこから淡い光が出ているのではないかと錯覚するくらい白い、柔らかそうな雲。こんな光景見慣れない筈なのに、どこか懐かしい心地がした。 ぼーっとそんな景色を眺め始めて、どのくらい経っただろうか。今までほぼ変化を見せなかった雲上の風景に、突如として異質な物が現れた。いや、一概に異質とは言えないかもしれない。一面の白と滄の中でそれは異常な程に目立っていたが、浮いている訳ではなく妙にマッチした雰囲気を醸し出していた。 遠くからでもはっきり分かる派手な色と装飾の御殿が、雲の上に建っていた。何本もの赤い柱が建物を支え、緑青(ろくしょう)になった重厚な屋根が載ったどっしりとした佇まいは神社の社殿の様だ。四角い大きな建物で、雲から一メートル位の所にある板張りの床を朱塗りの柱が貫き支えている。白い壁が一部分だけ無い入口と思しき所には、大きな鈴が沢山縫い付けられ、金糸の刺繍が豪華な深紅の暖簾がアーチ状になるよう数箇所を縫い止められて鴨居から垂れ下がっている。柱や屋根には各所に金細工が施され、それにより建物全体が煌びやかになっていた。 そのうち、金細工のデザインがはっきり視認できるくらいの距離になった。移動速度が落ちる。ゆっくりと入口の手前にある滑らかな石の階段の前まで進む。建物の中から、話し声が漏れ聞こえてきた。 「------ですが天照(あまてらす)様。あの禁足地がなくてはっ」 「それは最も優先すべき問題ではない。あの場所に禁足地を置いておけ、死人が出るぞ?」 はじめに中性的な声、そこへ食い気味に落ち着いた女性の声どこか切羽詰まった会話だった。 目の前の純白の毛並が暖簾の鈴に当たった。カランカランと音が幾重にも重なって響き、話し声が止む。 建物に入ると、広々とした部屋に大きな円卓が一つ置かれ、入口と向かい側の縁側から差す光が空間を照らしていた。 円卓を取り囲む十人程のうちの一人、色とりどりの布で着飾った女性が言った。 「誰だ。何人(なんびと)も入れるなと伝えておいた筈だぞ。今すぐ此処(ここ)を、」 苛立ちの滲む、先程聞いた女性の声。 そして、こちらへ振り返った。 明るく輝く彼女の顔で、瞳が大きく見開かれた------。 囀りが鼓膜を震わせるのを感じて、瞼を開いた。 朝だった。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加