寿司と山葵と蜜柑

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寿司と山葵と蜜柑

「真赭、寿司だぞ寿司」 月明かりの差す縁側で浜木綿が呼びかける。傍らには、黒塗りの皿に盛られた刺身と酢の入った瓶。それに、山葵の摺り下ろしが小さな山となっている。 「寿司?なんですの、それは」 「町の八咫烏が食べる生魚の料理だ」 よく見ると、刺身のように切った魚を小さく握った白米に乗せているらしい。 「こうやって食べる」 浜木綿は酢を寿司の入った皿に少量垂らすと、親指、人差し指、中指で寿司を一つ持ち、酢にちょんと付けた。 「ちょっと浜木綿、そんな食べ方ははしたなくてよ」 思わず真赭が咎めたが、気にも止めずに寿司を口へ運び、一口で食べてしまった。 「お前もどうだ」 もぐもぐしながら美味しそうに言う浜木綿を見て、ちょっと食べてみたいという気になった。 「じゃあ、一つだけ…」 浜木綿を真似て、手掴みで寿司を食す。 「……、美味しい…」 脂ののった新鮮な魚と酢がよく合う。米の部分は小さいが、粒が揃っていて魚の旨みを引き立てている。 「山葵を付けても美味いらしいぞ。というか、美味い」 見ると、浜木綿は既に五つほどの寿司を平らげているらしい。いつの間にか用意していた箸で魚と米の間に山葵を挟んで食べている。 「それと、一つ、じゃなくて一貫二貫と数える」 今度は山葵入りの寿司を手渡して来た。 「…い、要りませんの」 「何でだ?」 不思議そうな浜木綿。 「さっき夕餉も頂きましたし、一つ、いえ一貫で充分ですわ」 実はそうでもなかったりするのだが。 さて、こんな時に限って腹が鳴る、というのはお決まりの展開である。 案の定、 ぐぅー。 と真赭の腹が鳴った。 「充分ではないようだな。やっぱり食べろ」 誤魔化せなかったらしい。 「では、もう一貫だけ」 皿から寿司を取り、酢を付ける。 「いや、こっちを食べろ」 山葵入りの寿司が目の前に迫る。 「いえ、他の方、つまり浜木綿が触ったものですし…」 「さてはお前、山葵が食べれないな?」 沈黙。 「さてはお前、山葵が食べれないな?」 ニヤニヤとした浜木綿の顔が迫る。 「……んもう、なんで二回訊きますの?ええそうよ、食べれないわよ!どうせ子供っぽいとでも言うんでしょう。好きに言ったら良いのよ!」 羞恥に火照った顔を背ける。つい感情的になると赤くなるのは昔からの癖だ。 「いや、別に言わないが…山葵、ねぇ」 「馬鹿にしてらっしゃるでしょう!」 山葵は鼻にくるツンとした刺激がどうにも苦手で、昔から食べられない物の一つだった。それをよりによって浜木綿に知られるとは。そもそも酢だって苦手だけど我慢して食べたのだ。結果、美味しかったが。 また馬鹿にされると思ったが、浜木綿はしみじみした様子で語り出した。 「苦手な物といえば、アタシは小さい頃蜜柑が食べられなかったな」 「蜜柑?」 「そうだ。今は平気だがあの香りが苦手だった。まあ、すぐ克服したけどな」 遠い目をして丸い月を見る浜木綿は、どこか昔を懐かしんでいるようだった。 どこからか、柑橘の香りが風に運ばれてきた。 「さあ、残りも食べるぞ。お前の山葵克服の為にアタシも協力してやろう」 すっかりいつもの調子に戻った浜木綿が山葵入りの寿司をすすめてくる。 「えっ、ちょっと、わたくしは結構ですわ。どうぞ山葵はあなたが召し上がって」 「遠慮するなって。アタシの分には多いしな」 月のよく見える縁側で言い合う二人を、光がささやかに照らしていた。
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