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書いては消し、書いては消し。
いや、これじゃあ埒が明かないと、やっぱり書いてみるのだけれど、しっくりこないとまたBack Spaceキーを連打。
足立香織はいっこうに進まない文章の、書く手を止めた。
「いったい何が哀しくて、私がラブレターなんて書かなきゃならないのよ?」
座った姿勢からどすん、と音を立てて寝転がった香織は、ワンルームの天井を見上げながらまた毒づいた。
香織は今、友人のラブレターの代筆をしています、なんてことはない。
そもそもそんなことを香織に頼みそうな親しい友人は、そろいもそろって全員彼氏持ちでいやがるのだし。
また、香織に想い人へ口で告白する勇気がなくて、やむなく文にしたためている、なんてセンチメンタルな状況に陥っているわけでもない。
「穂川の野郎……。ちょっと顔がいいからって、罰ゲームみたいな課題出しやがって……」
そう。
ラブレターを書け、と命じたのは、香織が所属する文学部文学科、穂川ゼミの指導教官、穂川准教授さまなのだ。
締め切りは、次回のゼミの一週間前。
書き上げたラブレターを、まずは穂川准教授に提出し、事前に採点を行った後、ゼミの当日、皆の前でそれを読み上げて、さらにゼミ生による評価を加えるという、罰ゲームに等しい課題に今、香織はとりくんでいるのである。
そういう理由があるのだから、香織がぶつくさつぶやいてしまった、穂川准教授の顔がいいとかそういうことは、今の状況には一切関係がない。
関係はないのだけれど、くやしいことに香織は穂川准教授の顔が、マジで、ガチにリアルに、どストライクの好みなのである。
「あれで……あれで少しは性格にマシなところがあったら……。
ちょっとでもあったら……私アレでいいのに。
私の将来託してやってもいいと思ってたのに……」
香織は悔やんだ。
ゼミを選ぶときに、教官の顔でなんて選ぶんじゃなかった。
文学部准教授なんて、ぜったい性格歪んでる、いや、歪んでないとそんな職業つけないよ、という周囲の声に、もっと耳を傾けるべきだった。
そうなのだ。
穂川准教授さまは、いたく性格が歪み、そねんでいらっしゃる。
大学内で噂になるほどだから、それはもう、香織の周囲にとっても、明々白々な事実なのである。
なのに。
なのになのになのに。
『だからさあ、顔のイイ男は、そういう訳のわかんない妬みの声にさらされがちなわけよ。きっとそう。絶対そう。そうに決まってる!!』
「あ~~~っ! ゼミ選択の時点に戻って、思いっきり自分の頭をはたいてやりたいっ!」
香織はその場で足をばたつかせて、後悔に身をよじらせた。
しかしこうして全身で過去を悔やむのも、何回目だろう。
だいたい、穂川准教授の性格の悪さなんて、ゼミに入った初日に、いや、ゼミが始まって開始三十分以内に、噂はすべて事実だったと、嫌ほどわからされたことだ。
今さら言っても、本当に仕方がないことなのだ。
それより問題は、ゼミで落第せず、無事に進級できるかどうかだ。
留年なんかしたら、決して豊かでない香織の実家の財政から言って、退学させられる恐れがある。
岩にしがみついてでも、それだけは回避しなければならない。
香織はため息をついて起き上がると、再びノートパソコンに立ち向かった。
だが、今度は消すべき文章さえ、思いつかない。
完全に思考が停止している。
記憶力も極端に低下している。
「あれ……? 私、誰に対してラブレター書こうとしてたんだっけ?」
香織はなんとか思い出そうとしたが、どうしても出てこない。
しかし香織は、あれだけ書けないのなら、別の相手に変えて再チャレンジしてみよう、とあっさり気持ちを切り替えた。
「誰でも、というかなんでもいいっつってたよな、穂川は」
そう。穂川准教授さまは、課題を出す際、こうおっしゃった。
芸能人でも有名人でも、物語のキャラクターでも、二次元でも三次元でも、なんなら自分の創作した人物でもいい。
文字通り、好きに書きたまえ。
そしてそうのたまわれた穂川准教授さまは、きわめて性格が曲がっていらっしゃるので、こう付け加えることを忘れなかった。
「当然だが、自分が本当に恋する、実在する相手であるのがベストだ。
なぜなら恋愛とは、相手の良いところばかりが目に映りがちなものだからだ。
しかし現実には、本当にすべての面が好ましい人物などいない。
嫌な点、好きになれないところ、欠点、その他もろもろがあって当然。
にもかかわらず相手の美点ばかりをあげつらって、恋愛などにうつつをぬかすのはまさに愚行。過ち。人生の暗黒部分。
とまあ、そういうことを君たちが実際に経験してしまう前に、こうして課題としてシミュレーションさせてあげようというのは、ひとえに私の教官としての優れた指導力のたまものであってうんぬんかんぬん」
以下省略。
というか、香織だけでなく、他のゼミ生徒も皆、穂川准教授のご高説にげんなりして、記憶しておくだけでもバカバカしくなってしまったので、覚えちゃいねえ。
「だからさあ、そういうフリーなのがいっちばん困るのよ! だってそんなの書いたらゼミのみんなに、私の好きなタイプがバレバレになっちゃうじゃん!」
そういう配慮が出来ないのが、まずもって穂川の短所だな、と香織は腕を組んで自分の考えに納得する。
さらに言えば、課題の狙いを過剰に生徒に伝えるなんて、クイズの答えのヒントだしすぎと同じことであって、あの野郎がしゃべったことこそ、自分たちゼミ生が、この課題を書きながら自分で考え、発見すべきことなんでないかい?
ってことで、さらに指導者としてもマイナスポイントだな、と香織は思う。
まだあるぞ。
あとさ、ゼミ生の七割ほどは女性なのだから、セクシャルハラスメントだと訴えられる可能性だってあるわけだし、そういう脇の甘さが、一般社会人としてアウトなところじゃないかね? どーだい、穂川くんよお。
そこまで考えて、おや? と香織は気づいた。
穂川准教授の悪口なら、いくらでも湧いてくる。
ちょっと試しに、実際にワープロソフトで書いてみようか。
と、やってみたら驚きなのである。
あっという間に課題のワード数どころか、香織の分だけでなく、ゼミ生全員分のパターン分まで出来あがっててしまったのである。
香織は打ちあがったファイルを見てつぶやいた。
「問題はこれが、ラブレターどころか、単なる悪口の羅列だってことよねえ……」
だが、せっかく調子よく書いたのだから、なんとか無駄にはしたくない。
「どうしよっか……。悪口並べ立てて、『でもそんな欠点を含めてあなたが好きです』とか最後に書いて、お茶濁しちゃうか?
いやいやいや。それって単なるマゾヒストだし」
さらにこうも考えた。
「あ! 『でも私は、そんなあなたのどうしようもなさを救うため、生まれてきたのだという運命を感じました』とかは?」
いやいやいや。
ダメだよそれは。
それって、穂川ばりに性格歪んだ女じゃないの。
と、そう考えた時に、香織の耳元で、悪魔がささやいた。
『ねえねえ、香織ちゃあん。
あんた、穂川のことだったらこんなに筆が進むんでしょう?
だったらさあ、いっそこんなゼミ生みんなが知ってる穂川のダメなところだけじゃなくさあ、もっとみんなが知らない穂川の性格最悪さ加減を暴露してさあ、最後にこう言い放っちゃえば?
”というわけで、穂川先生にはひとつもいいところを発見できず、私の恋は芽生える前に終わってしまいました。さようなら”
とか、どう?』
だがもちろん、悪魔のささやきには、天使の反論がつきものだ。
『ダメよ、そんなの!
もちろんそういうオチつけたら、みんな爆笑してくれるだろうけど!
もし穂川が文句言って来ても、
”先生にはユーモアのセンスがないんですね”
なあんて言って、プライド高いあいつに赤点つけさせないようにとか、そういう作戦も立てられるけど!
でもダメよ!
性格の悪さには性格の悪さで対抗すれば、あのクソいまいましい穂川の鼻をあかしてやれるかも、だなんて、絶対に考えちゃダメ!』
香織は思った。
どうやら私の中の天使は、
「押すなよ! 絶対に押すなよ! 押したらこのまま落ちちゃうから!」
とか言いがちな、お笑い芸人に似ているらしい。
いずれにしろ、このような思考過程を経て、足立香織の腹は座ったのである。
つまり、穂川准教授に密着取材を敢行して、アイツに一泡吹かせてやる、と。
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