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その日を境に、結果的に足立香織は、密着というほどではないが、穂川准教授と一緒にいる時間が長くなっていった。
もちろん穂川准教授は、ゼミの皆の前では、嫌味でいけ好かない教官をずっと演じている。
しかし香織と二人きりになると、その真の姿を明かしてくれて、香織だけに優しくしてくれただけでなく、今までの彼では想像もつかなかった楽しい時間をすごせるよう、気を配ってくれるようになったのだ。
そしてあっという間に、三年の歳月が流れた。
香織は大学を卒業し、なんとか仕事にもありつけ、右も左もわからない新入社員の時期を経て、どうにか一丁前の社会人だと、周囲に見てもらえるようになった。
そんなある日の日曜日。
香織はなぜか教会にいた。
同じ部屋には、母親もいる。
香織はあの日の夜、ラブレターの課題に苦しんでいた自分のことを思い出し、そしてぽつりとつぶやいた。
「私、なんでこんなところにいるんだろ?」
すると母親が呆れたように言った。
「何言ってんだい。ウェディングドレス着て、綺麗に化粧もしてもらって。
籍だって先週、も役所に行って入れてきたんだろう? なに花嫁としての自覚のないこと言ってんのよ」
「いや、それはわかってるんだけど、不思議だなあって思って」
「何がよ?」
「なんていうか、人の運命ってわからないものだわ、とか……」
その時、新婦の待機室のドアをノックする音がした。
「穂川です。香織、お義母さん、入ってもいいですか?」
すっかり新郎である穂川准教授のファンになっている母親が、喜んでドアを開ける。
真っ白なスーツに、胸に同じく白い花をつけたし穂川准教授は、香織のところに歩いてきて、じっとその姿を見つめて言った。
「香織、きれいだよ」
あの、香織好みの美形顔が、間近に迫ってくる。
香織は頬をあからめ、改めてこの人と夫婦になる実感に、幸せの涙を流した。
式も披露宴もつつがなく終わり、二次会でも皆で大いに騒いだ後、香織は穂川准教授とともに、ホテル側が用意してくれたスイートルームにたどり着いた。
「はあ、さすがにちょっと疲れたわ」
ベッドの端に座り込んだ香織に、夫となった穂川准教授が、ホテルのサービスのシャンパンを開けて持ってきてくれた。
「先生、ありがとうござ……」
そこまで言ったところで、香織の唇は、夫の唇でふさがれた。
そして穂川准教授は、優しくこう言った。
「久しぶりにそれ、出たね。僕はもう君の先生じゃないよ? まだその癖、直らないの?」
香織は苦笑しながらも言いわけをした。
「ごめんなさい。でも今日はね、あの日のことを何度も思い出してたから、つい口に出ちゃったのよ」
「あの日って?」
「あなたが私に、本当の姿を見せてくれた日のこと。あの日こそ、私の運命の日であり、人生の転換点だったんだなあって」
香織はロマンチックな思いに胸を満たされた。
今夜は、記念すべき結婚しての初夜である。
こんなムードの中で愛する人に抱かれるのは、きっと天にも昇るような、幸せな気持ちになるだろう。
そんな空想も香織の頭をかけめぐってしまう。
だが、顔をあげた香織の目の前には、相変わらず好みの姿かたちはしているが、口の両端を上げ、眼つきも眉も何もかも、腹に一物も二物もあるような表情を浮かべた、穂川准教授が立っていた。
「あの日か。そうだね、確かに運命の日だ。
僕だってまさか、以前から狙っていたけれども、教え子に手を出すわけにはいかないから、こりゃあ攻略は卒業後だなあって諦めていた子が、僕の研究室にカモがネギ背負って来たかのように入ってくるとは思ってもいなかった。
うん、あんな奇跡、天に感謝しなきゃいけないよねえ」
香織は何かの聞き間違いではないかと、たずねかえした。
「あなた、何を言ってるの?」
「ん? わかんない? 僕はさ、すごい正直な人間だから、一刻も早く嘘をつき続けるのを止めようと思って。それだけだよ」
「嘘? 嘘って何?」
香織がこわごわ尋ねると、まるで映画のラスボスのような悪辣な笑みを浮かべた穂川准教授は、香織のあごを右手の人差し指であげさせて、こう言った。
「全部だよ。全部嘘。
学生に嫌味な態度を見せるのは、単に彼らの反応が楽しいという、僕の趣味だ。
それに、君のことを大学の相談課と打ち合わせしてたっていうのも嘘。
ぶっちゃけいって、君を狙っていたから、ストーキングを繰り返しているうちに、君の家庭環境その他もろもろを、すべて知っただけだよ」
香織は一斉に血の気が引いていくのを感じながら、震える声でたずねた。
「じゃ、じゃああの後、私の相談事に親身に受け答えしてくれたのは……」
「親身に? 言葉のセンスが悪いなあ。そこはストレートに、君をおとすために口説いていた、と表現すべきだね。
君は腐っても文学部卒だろう? そこはうまく言葉を選ばないと」
茫然とする香織だったが、彼女が身動きがとれないことをいいことに、穂川准教授は香織を抱き上げ、お姫さまだっこをした。
「でもこれで、僕の狙いは達成された。
君はこれから僕の、誰より愛しいお嫁さま。
ぜったいに、ぜったいに、ぜったいに逃がさないから、覚悟しておくように」
「あ、あの、先生。『ぜったい』という言葉が多すぎるんじゃないかと思うんですが……」
「いや、それは違うね。まだ足りないくらいだ。
僕はね、欲しいと思ったものは必ず手に入れる。どんな手を使ってもだ。
そして、一度手に入れたものは、決して離したりしない。
覚悟はいいかい? 穂川香織ちゃん?
僕は一生をかけて、君だけを愛し続ける。だから君も、僕だけを愛するんだよ?
もし他の男になびいたりしてごらん。
僕がどんなことをしでかすか、わかったもんじゃないからね?」
そして穂川准教授は、そのまま香織とともにベッドになだれこむと、いそいそと、嬉しそうに香織の服を脱がしにかかった。
香織は思った。
やっぱり穂川准教授は、見た目はともかく、性格は最低なままなのだ、と。
でも、そんな穂川准教授を好きになってしまっている自分だって、たいがいだよね。
そうを認めざるを得なかった香織は、逆襲の意味も込めて、彼の服を脱がしにかかった。
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