第1話 魔王城の異変(前編)

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第1話 魔王城の異変(前編)

     漆黒の翼を優雅に広げて、グリフベックは青い空を飛んでいた。  ちょうど穀倉地帯の上空であり、眼下に広がっているのは、黄金色(こがねいろ)に輝く麦畑だった。 「美しいものだな……」  珍しく目を細めながら、グリフベックが呟く。  この辺りは、まだ戦火にさらされていないのだろう。戦う力のない村人ならば、今後も無駄な抵抗を試みることなく、素直に魔王軍の統治下に入るべきだ。そうすれば、平和な生活を維持できるのだから。  そんなことを考えながら、グリフベックは飛び続ける。大陸の北東にある、険しい山脈を目指して。  南の大陸は北東部で東の大陸と隣接しているが、人の身では、二つの大陸を行き来することは出来ない。南と東の大陸は、『悪魔の絶壁』と呼ばれる山々に遮られているからだ。  登頂困難な崖のような地形であり、無理に登ろうとしても、山に巣食う凶悪なモンスターに襲われるという。もう長い間、誰も足を踏み入れない領域となっており、だから人々は知らないが……。  茶色く尖った自然の連なりの中に、いつの頃からか、灰色の大きな砦がそびえ立っていた。魔界より侵攻してきた魔王軍の本拠地、通称『魔王城』だ。  固く閉ざされた城門の前にグリフベックが降り立つと、門番をしていた二人がビシッと背筋を正す。  岩石魔人と呼ばれる種族であり、グリフベックの二倍近い体躯のモンスターだが、その大きな顔が緊張で強張(こわば)っていた。  まだ若いモンスターに違いない。あまり固くなるな、と声をかけたいところだけれど、自分のような立場の者が言っても、かえって逆効果だろう。  そう思って、グリフベックは短く済ませる。 「ご苦労」 「はっ!」 「私の部下たちは、既に帰投しているな?」 「はっ! グリフベック様の部隊の方々は皆、数時間前に戻られました。今頃は、それぞれのお部屋で休んでおられると思います」 「うむ。情報ありがとう」  ポンと二人の背中を叩いてから、グリフベックは城門を潜る。岩石魔人たちが安堵する様子は、視界の隅で捉えていた。  中に入り長い通路を歩き始めると、それだけでグリフベックは、心が落ち着くのを感じる。  外から見れば単なる岩の塊だが、この砦は魔界の鉱石で作られており、足の裏に懐かしい感触が伝わってくるのだ。  その心地よさに身も心も委ねたくなるほどだが、そういうわけにもいかない。休んでいる部下たちの様子を見るのも後回しにして、グリフベックは、魔王の居場所へと向かう。玉座の()とも呼ばれる執務室だ。  途中、大柄なモンスターとすれ違った。グリフベックが挨拶するより早く、相手の方から声をかけてくる。 「おお、グリフベック殿! 貴殿も戻っておられたか!」 「竜魔将(ドラゴジェネラル)こそ、北の王国を攻略中と聞きましたが……」  魔王軍幹部の一人、レザルドだった。  ザラザラとした緑色の肌の上から黒い鎧を着込み、左右の腰には鎖鉄球をぶら下げている。種族としては大トカゲ人――比較的低級のモンスター――でありながら、高位モンスターの竜族を率いていることから『竜魔将(ドラゴジェネラル)』という異名を持っていた。 「うむ。王国の猛者どもは、あらかた片付けたのでな。残りは部下たちに任せて、わしは一足先に戻ってきたのだ」 「ほう。さすが竜魔将(ドラゴジェネラル)、仕事が早いですな」  厳密には、敵軍の敗北を見届けるまでは、任務達成にならないはず。しかしレザルドの場合、敵の中にいる強者(つわもの)たちを倒すだけで満足して、引き上げてしまうことが多かった。  弱い相手と戦っても面白くないという気持ちに加えて、自分一人が頑張り過ぎず部下にも手柄を立てさせよう、と考えているらしい。  幹部たちの中にはレザルドのやり方を好ましく思わぬ者もいるようだが、むしろグリフベックは、竜魔将(ドラゴジェネラル)を武人として高く評価していた。 「なんの、なんの。その言葉、そっくりそのまま、グリフベック殿にお返ししますぞ。ガハハハ……!」  大きな手でグリフベックの背中をバンと叩き、豪快に笑いながら、竜魔将(ドラゴジェネラル)レザルドは去っていくのだった。  上級モンスターの多くは、まだ出払っている時間帯なのだろう。  レザルドと言葉を交わして以降、名前も知らない下級モンスターは何度か見かけたけれど、幹部やその直属の配下とすれ違うことはなく、魔王の執務室まで辿り着く。 「失礼します。任務より帰投した旨、報告に参りました」 「おお、その声はグリフベックだな? 入りたまえ!」  部屋の外から挨拶すると、名乗るまでもなく入室許可が与えられた。  大きな石の扉を開き、グリフベックは玉座の()に足を踏み入れる。  グリフベックにとっては、何度も来ている執務室だが……。初めて訪れた者ならば、その内装に驚くに違いない。  (ゆか)には赤い絨毯が敷かれて、壁や天井は茶色く塗られている。魔界から持ち込まれた石が剥き出しの魔王城の中、この玉座の()だけは、まるで人間の家屋みたいに装飾されていた。  同じく人間が使いそうな机や椅子も置かれており、そこでドッシリと構えている赤いモンスターこそが、この魔王城の主人(あるじ)。  魔王ギガノダムスだった。  金の縁取り刺繍のある紫色のローブを身に纏い、威厳を感じさせる三本角が頭から生えている。肌のしわには年齢も現れているが、ひと睨みするだけで下級モンスターを失神させるほどの威圧感は、まだまだ健在だった。  そんな瞳に優しさの色を浮かべて、魔王ギガノダムスは、グリフベックに応対する。 「ご苦労だったな、グリフベック。南の街の抵抗勢力を一掃してきたのであろう?」 「はい、魔王様。滅ぼされた国々の騎士団や傭兵の残党が近隣から集まりつつあり、あのまま放置しておいたら、かなりの戦力になるところでした」 「あの辺りは、確か、牙将軍クーの受け持ちだったな?」 「魔王様がおっしゃる通り、クー殿が占領しているエリアです。自分の支配下で揉め事が起きるのはクー殿としても嬉しいはずがなく、早急な解決策として、クー殿は街全体を燃やすつもりだったようです。レジスタンス殲滅のためには一般市民の犠牲もやむを得ない、という考えで」 「クーもそのような思想か……。あいつも昔は、生き物の命を尊重する、穏やかなやつだったのに」  魔王の口調には、失望の響きが含まれていた。  声を聞くだけでグリフベックも悲しくなるが、その気持ちをグッと堪えて、冷静に報告を続ける。 「そのような強硬策は魔王様の本意ではなかろう、と思いましたので、私の権限で介入して、レジスタンスのみを叩きのめしました。これでもう、あのエリアの者たちに武装蜂起する力は残っていないはずです」  グリフベックは、魔王麾下の遊撃部隊を率いる立場にあった。地上侵略に(いそ)しむ将軍たち以上に、誰よりも魔王の心情を理解しているという自負も持っていた。 「うむ、よくやった。それでこそ、わしの直属部隊のリーダーだ」  魔王は満足げな声を出しながら、部屋の壁に目を向ける。  そこには、一枚の絵画が飾られていた。魔王ギガノダムスが、魔界の名匠に描かせたものだ。 「わしが組織した魔王軍なのに、わしの理想を理解せぬ者も増えてしまった……。我ら魔王軍が地上侵攻する目的は、人間たちの殲滅ではなく、その戦力を()ぐだけで十分だというのに」  嘆く魔王の視線の先にある絵画を、改めてグリフベックも鑑賞する。  そこに描かれているのは、人間とモンスターが手と手を取り合って、共に天を目指そうとする光景。それこそが魔王ギガノダムスの理想であることを、グリフベックはよく理解しているのだった。    
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