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第2話 魔王城の異変(中編)
魔界で生まれ、魔界で育ったグリフベック。幼い頃、年老いた者たちから何度も聞かされたのは「魔界の住民であるモンスターたちも、かつては地上で暮らしていた」という話だった。
今でこそ地上は人間界となっているが、昔々は、人間とモンスターが共存していたそうだ。仲良く協力し合うレベルの『共存』ではないが、そもそも地上は広い。それぞれが棲み分けることで、互いに干渉や衝突することなく、平和な生活が続いていた。
ところがある時、その均衡を破る者が現れた。
天界から訪れた神々と、それに扇動された一部の人間たちだ。
人間たちの力はモンスターから見れば微々たるものだったけれど、神々による後押しは侮れなかった。勃発した争いは大きな戦乱へと発展し、やがてモンスターの敗北という形で終わりを迎えて……。
「このレベルまでの弱小モンスターならば、人間に大きな危害を与えるのは不可能だから、地上にいても構わない。しかし、それ以上に強力なモンスターは駄目だ」
という神々の勝手な選別により、ほとんどのモンスターが、日の光も差さぬような暗い魔界へ追いやられたという。
魔王ギガノダムスもまた、地上での暮らしを経験している古のモンスターの一人であり……。
人間界に対する神々の影響が弱まった現代、魔界のモンスターを従えて、地上への侵攻を始めたのだった。
「僭越ながら……。一言よろしいでしょうか?」
「どうした、グリフベック。お前は、わしが直属部隊の指揮を任せた男ではないか。そんなに畏まる必要はないぞ。申してみよ」
ギガノダムスが、壁の絵からグリフベックに視線を戻す。
その瞳には、魔王らしからぬ優しさが浮かんでいた。ふとグリフベックが、人間界で使われる『好々爺』という言葉を思い出すほどだった。
「では、申し上げます。なぜ魔王様は、無知蒙昧な輩にまで大きな権限をお与えになるのでしょうか? 魔王様の主義や思想を理解せぬ連中など、邪魔者でしかないというのに……」
先ほどの話に出てきた牙将軍クーだけではない。魔王軍幹部の中には、人間の命を軽視する者も多かった。
それどころか、人間は皆殺しにすべきと主張する者までいる。そのような過激な連中を将軍職に就かせておくのは、災いの種になるのではないか。
グリフベックは前々から、そう危惧しているのだった。
「それは言い過ぎだぞ、グリフベック」
魔王ギガノダムスが、眉間にしわを寄せる。
「少しぐらい理想は異なれど、彼らも皆、わしの同志だ。それに……」
グリフベックから見れば「少しぐらい」ではないのだが、あえて魔王の発言を遮ってまで反論するようなポイントではなかった。
「……あの連中も、魔王軍の貴重な戦力ではないか。配下のモンスターたちからも慕われておるようだし、さすがの統率力だ。地上征服の後のことを考えても、その手腕は必要となるであろう。そう思わないか?」
「しかし、魔王様。その彼らこそが、無益な者まで殺して、この地上を荒れ果てた世界にしてしまう恐れが……」
そこまでグリフベックが意見を述べた時。
バンッと大きな音を立てて、執務室の扉が開く。
「魔王様! もう我慢できませぬ!」
叫びながら入ってきたのは、一人の単眼巨人。背中を丸めなければ玉座の間の大扉も潜れないほど、巨体のモンスターだった。
ゴツゴツした赤い肌で覆われた体に、銀色の甲冑を着込んでいる。単眼巨人の種族名が示す通り目は一つしかないけれど、そのギョロリとした目玉は、一つで十分なくらいの迫力を伴っていた。
彼の名前は、シクロチェノフ。巨人系モンスターで構成される巨躯魔軍を率いることから、巨大将軍と呼ばれている大幹部なのだが……。
その姿を認めた途端、グリフベックの表情が険しくなる。
このシクロチェノフこそが、人類抹殺を唱える過激派の、一番の代表格なのだから。
「どうした、シクロチェノフ。わしは今、このグリフベックから任務の報告を受けている最中なのだが……」
「小さな遊撃部隊の報告なぞ後回しです。グリフベックの部隊がいくら頑張ろうとも、戦局が大きく進展することはないですからな!」
シクロチェノフがグリフベックを一瞥した目には、嘲りの色が浮かんでいた。
グリフベックはカチンときたが、この程度のことでシクロチェノフ相手に怒っていてはキリがない、と自分に言い聞かせる。
そもそもグリフベック率いる遊撃部隊は、構成人数こそ少ないものの、魔王直属の部隊だ。それを軽んずるのは、魔王ギガノダムスに対しても失礼に当たるというのに……。
その程度のことも理解できないのが、シクロチェノフという男なのだ。グリフベックが改めて巨大将軍を軽蔑する中、当の本人は、魔王への訴えを続けていた。
「魔王様! 前々から私が提案してきた瘴気転移計画、その実行を認可してください!」
「まだ言っておるのか。あれはいかんぞ……」
「なぜですか? 人間どもにとって魔界の空気は毒! ならば地上を魔界化するだけで、連中を一掃できます!」
転移魔法を応用した装置を作り、魔界の大気そのものを地上に持ち込む。それがシクロチェノフの提案だった。
人間たちに対しては、いわば毒ガスとして作用するが、モンスターたちにとっては、慣れ親しんだ空気に他ならない。敵を滅ぼし、味方を活気づける、まさに一石二鳥の作戦だった。
しかし…。
「前にも言ったはずだぞ、シクロチェノフ。人類を殺し過ぎてはいかん。魔王軍に楯突く者だけを始末すれば良いのだ」
「何を言うのですか! 魔王様は、かつての人間どもの仕打ちをお忘れですか? 神々と手を組んで、我らモンスターを魔界へ追放した人間たち! 絶対に許せませぬ! 今こそ積年の恨みを晴らすべき時ですぞ!」
巨大将軍シクロチェノフは魔王ギガノダムスと同じく、地上で暮らしていたこともある古のモンスターだ。追放事件に対する彼の想いは、自分のような若輩者には到底想像できない、とグリフベックにもわかっていた。
それだけでなく、二人の思想には根底から大きな違いがあることも、グリフベックには理解できていた。
ちょうど今グリフベックの目の前で、ギガノダムスとシクロチェノフが、改めて互いの意見をぶつけ合う。
「間違えてはいかんぞ、シクロチェノフ。人間たちは、神々に唆されたに過ぎん。わしたちが恨むべきは、大元になった神々そのものだ」
「魔王様こそ間違っておられる! 神たちが何を吹き込んだにせよ、実際に手を下したのは、主に人間たちです! あの戦乱で受けた屈辱、私は今でも忘れませぬ!」
「それでも、人間たちは神々の手先に過ぎなかったのだ。だから今度は、我らが人間界を支配し、逆に人間たちを使って神界に攻め込むことで、神々に対する恨みを……」
ギガノダムスは「人間たちを使って」と言ったが、実際には「人間とモンスターが共に手と手を取り合って」というのが、彼の理想だった。
シクロチェノフを説き伏せるために、あえて人間を下に見る言い方にしたのだが……。
全くの無駄だった。
「それは夢物語です!」
シクロチェノフは、近くの壁をドンと叩く。
「いくら勇猛果敢な魔王軍とはいえ、さすがに神界侵攻は不可能です! かつて地上に降りてきた神々は、ほんの数人だったのですぞ? それでも、あれだけのことを仕出かしたのです! それがわんさかいる世界を相手に、どうして戦えましょうか?」
ある意味では、シクロチェノフの方が現実的だ。彼を高く評価できないグリフベックでさえも、そう思えていた。
もしかするとシクロチェノフは、神々に対して憎悪を向けても意味がないという諦めを感じているが故に、人間を憎む気持ちが一層大きくなっているのかもしれない。
「大丈夫だ、シクロチェノフ。我ら魔王軍だけでは無理だとしても、この地上に生きる人間たちと協力すれば……」
しかしシクロチェノフは、魔王の言葉を遮るかのように歩み寄り、今度は机をバンと叩いた。
「それこそ無理な話です! 占い老女の予言をお忘れですか!?」
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