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第3話 魔王城の異変(後編)
占い老女は、魔物道士というモンスターの一人。魔王軍の中では諜報部隊の長として、魔導参謀の任に就いている。
魔王ギガノダムスや巨大将軍シクロチェノフのような古株からは『占い老女』と呼ばれており、彼女自身も名乗らないため、その本名は誰も知らない。グリフベックたち比較的若手のモンスターは、渾名では失礼と考えて、役職名の『魔導参謀』で呼ぶことにしていた。
様々な魔法を操る占い老女だが、その最大の特徴は、易者としての能力だった。彼女には、未来を見通す力があるという。
そして魔王ギガノダムスが地上侵攻を始めた際、魔王軍の行く末を占ったところ……。
「人間界で戦う者の中から、魔王軍を滅ぼす勇者が現れる」
という予言が得られたのだった。
「忘れてはおらぬ。だからこそ特殊部隊を組織して、このグリフベックに、力ある人間たちを始末させているではないか。今のうちに、勇者候補の芽を摘むために」
ギガノダムスが、チラリとグリフベックに視線を送る。物騒な話をしているはずなのに、その目には慈愛の色が浮かんでいる、とグリフベックは感じた。
「それでは手ぬるいですぞ、魔王様!」
再び机をドンと叩くシクロチェノフ。一つしかない目が興奮で血走っている。
「小さな部隊一つで何人抹殺できるというのですか! 勇者に成り得る者を全て殺しておかなければ、魔王軍全体の危機に繋がるのですぞ!」
将来勇者になるかもしれない、と思われる者たち。それらを始末していく中で一人でも取りこぼしがあった場合、しかもその一人が本当に勇者になってしまった場合、魔王軍にとっては大惨事だろう。
グリフベックとしても、シクロチェノフの言葉には一理あると思うし、自分の任務に関する責任の重さも、日頃からヒシヒシと感じている。
同時に、それほど重大な任務を立派に遂行しているという自負もあった。そして、それは魔王ギガノダムスも理解してくれていた。
「心配するな、シクロチェノフ。このグリフベックは、わしが最も信頼する戦士であり、彼ならば全ての勇者候補を……」
「だからこそ! 勇者に成り得る者を全て地上から消し去るためにも、人間界の者どもを皆殺しにするべきなのです!」
シクロチェノフが、再び過激な思想を披露する。
魔王の発言を遮る彼の態度に、グリフベックは胸騒ぎを感じ始めるが、その嫌な予感はまだ小さなものに過ぎなかった。
「実は……」
顔には興奮の色を残したまま、シクロチェノフは声のトーンだけを下げる。
「……前々から提案している、そして先ほども話に出た、瘴気転移計画。そのための転移装置を、既に作り始めております」
「なっ!?」
動揺の言葉に続いて、魔王ギガノダムスは激昂の叫びを上げた。
「いかんぞ、シクロチェノフ! それは絶対に許さん! それだけは……」
「どうしても認可していただけないのですか? ならば仕方ないですな。もはや魔王様の存在は、我ら魔王軍にとって災いの種だ」
不穏な空気が膨れ上がる。
グリフベックは背中の槍に手をかけるが、もう間に合わなかった。
シクロチェノフの単眼が不気味な輝きを発して、部屋全体が眩しい光に包まれたのだ。
「うっ……?」
小さく呻くことしか出来ないグリフベック。
直接目にするのは初めてだが、噂では聞いたことがあった。
単眼巨人の秘奥義、邪眼。目から発する光により、周囲の者たちを動けなくしてしまうという。
秘奥義だけあって、かなり高レベルの単眼巨人だけしか使えない技だが、巨大将軍たるシクロチェノフは、もちろんその能力を持っていた。
「なっ……。お前は……」
魔王ギガノダムスの口から漏れる呟き。その手がブルブル震えているのは、動かそうとしてもそれが精一杯ということなのだろう。
シクロチェノフの顔に嘲笑が浮かぶ。
「伊達に『魔王』は名乗っていませんな。私の邪眼に抵抗する力があるとは……。しかし、しょせんその程度。もはや身動きは取れないでしょう?」
ゆっくりと歩き出すシクロチェノフが向かう先は、魔王ギガノダムスではなく、同じく動けないグリフベックだった。
シクロチェノフは、硬直したグリフベックから、彼愛用の武器アンブレラ・ランスを奪い取る。
そして魔王ギガノダムスに歩み寄り……。
「今言ったように、もはや魔王ギガノダムスは、魔王軍にとって害をなす存在。ならばそれを排除し、新しい魔王を擁立することこそ、魔王軍幹部の務め! 後は私に任せて、安らかに眠りたまえ!」
グリフベックのアンブレラ・ランスで、ギガノダムスの胸を刺し貫くのだった。
「ぐふっ!」
胸の傷口からだけでなく、口からも血反吐を吐き出すギガノダムス。
シクロチェノフは汚らわしいものを見るような表情で、返り血を避けるために、少し体を横に傾けていた。
それから踵を返して、ノッシノッシと巨体を揺らしながら、ゆっくりと玉座の間から立ち去っていく。
グリフベックとギガノダムスの硬直が解けたのは、シクロチェノフの姿が完全に見えなくなった後だった。
ドサリと鈍い音を立てながら、ギガノダムスが崩れ落ちる。
「魔王様!」
慌てて駆け寄るグリフベック。
右手でギガノダムスの胸からアンブレラ・ランスを引き抜くと同時に、自らの体が相手の血で汚れることも厭わず、ギガノダムスの身を左腕で抱きかかえた。
「魔王様! お気を確かに!」
「おお、グリフベック……」
もはや目も開けられないギガノダムスの口から、弱しい声が紡がれる。
「わしの最後の頼みだ。シクロチェノフを止めてくれ。地上の人間を根絶やしにしてはならぬ。人間たちも、我らモンスターの仲間。悪いのは天界の神々……」
「わかっております。悪の元凶たる神々を倒して、人間とモンスターが共に暮らせる平和な世の中を作る。それが魔王様の理想なのでしょう?」
「うむ、そのためにも……」
そこまでだった。
ギガノダムスの言葉は途切れ、グリフベックの腕の中で、急速に冷たくなっていく。
魔王軍を組織して、魔界から人間界に攻め込んだ魔王ギガノダムス。偉大なモンスターの呆気ない最期だった。
シクロチェノフを止めろ、という遺言だけではない。
グリフベックにとってシクロチェノフは、敬愛していた魔王を殺した憎き相手。逃がすわけにはいかなかった。
このまま魔王の亡骸を放置するのも無礼だが、今はシクロチェノフ追討が優先だ。
「魔王様。今しばらく、ここでお休みください」
玉座の間の赤い絨毯の上にギガノダムスを横たえて、立ち上がるグリフベックだったが……。
彼が動き出すより先に、その耳に聞こえてきたのは、廊下で騒ぐシクロチェノフの言葉だった。
「出合え、出合え! 魔王様が謀殺されたぞ! 犯人はグリフベックだ、逃してはならん! 必ず始末せよ!」
青天の霹靂だった。
「違う! 私ではない! 殺ったのはシクロチェノフだ!」
魔王殺害の罪を擦り付けられ、大罪人として告発されたグリフベックは、その場で叫ぶが……。
シクロチェノフの号令を聞きつけて、玉座の間に集まってきたモンスターたち。
彼らが目にしたのは、亡くなった魔王ギガノダムスの傍らに立つグリフベックだった。手にするアンブレラ・ランスは血に塗れており、グリフベック自身の体もまた、ギガノダムスの返り血で汚れている。
魔王を殺したばかりにしか見えない状態であり、いくら彼が「犯人ではない」と喚こうとも、誰にも信じてもらえない状況だった。
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