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結局玄米な私は、でもさすがに誕生日ディナーくらいはご馳走しようと嗜好を聞いてみれば、「絵梨花チョイスでお願いします」と返事が戻ってきて脱力した。でもアレルギー無、と付け足されてるのを見て、さすが医者とも思った。
だとすれば、私の大好きなあそこにするまでだ。
1月25日当日の待ち合わせは乃木坂にした。病院からも私のマンションからも地下鉄で一本なのでそれは良かった。良かったのだけど、うかつなことに「土曜夜」の乃木坂を失念していた。真冬だと言うのにカップルだらけだ。こうして改札で待っているのも、皆カップルの片割れっぽい。ふんわりとしたコートやらもこもこしたブルゾンを着込んで、くるくるの毛先も艶やかに嬉しそうな女子たち。男性たちはダウンやらダッフルやらを着込んで大体携帯をいじっている。今どこ?とか送ってるのだろうか。
私はと言えば、軽くて暖かいカシミヤのロングコートにいつもしているサックスブルーのストールをぐるぐる巻きにしている。髪の毛だって、コテは二回も火傷してこりたのでカーラ―で軽く巻いただけだし。このままお仕事ですか、みたいな恰好だ。かろうじてピアスは長いアメリカンにしたけど。キラキラと光を反射する長いチェーンみたいな。これでもいつもの五倍くらいは洋服選びに時間をかけた。以前好きな女優が、直感で毎日二分、と言っていたのを真似ているうちに本当に二分程度で選ぶようになったコーデを、今日は10分以上かけてこうでもないああでもないとこねくり回した。結局やっぱり好きなサックスのVニットにコートと同じ色味のトップグレーのタイトスカートで、これまた通勤着と何ら変わりのない恰好になってしまった。ロングブーツのかかとが7センチあるのが、いつもとは違うところで、でもそんな誤差みたいな違いしかないことに我ながらガックリきた。
四年もデートというものからは遠ざかっていた代償は大きい。貴久とだって終わりの方はもうだいぶ慣れ合ってきていて、今日みたいに気合を入れて選ぶなんてことは無かった。だから通算で言えばそれは恐ろしいほどの年月、私はいわゆるデート服というジャンルから遠ざかっていたのだ。それでサッパリわからなかった、どういうコーデが正解なのか。でもこうして周りの女性たちを改めて見ると、華やかさが圧倒的に違う。メイクもまた然り。キラキラつやつや。もうそれだけで、浮き立っていますという可愛さ、美しさだ。私だって通勤時よりはずっと丁寧にしてきたつもりだけれど、でもこの周囲の人たちに比べると地味もいいとこ。ああ全体的に冴えないな、私。
そこまで考えてハッとした。デートデートって、なに考えてるの?ただ同僚と出かけるってだけでしょうが。ちょっとキスしたことのある、捉えどころのない同僚。そうだ、そう、それだけだ。だから-
「すみません、お待たせして。」
うっとりしてしまう声が響いて見上げた先に黒のチェスターコートを見つけた途端、心臓が煩くなって困った。ほとんど黒に見える深い青のマフラーを今日は垂らしている。うわ、オールブラックって。相当自信ないと出来ないよな、このコーデ。あまりにもコーディネートのことばかり考えていたので頭がほぼ雑誌になっている。でもやっぱりこの男は黒が良く似合う。
「全然大丈夫だよ。それより病院の方は大丈夫だった?」
周りからちらちら投げかけられている視線をものともせずにそびえ立つ目の前を見上げると、
「いや、仕事は定時で上がれたんですけど。その後ちょっとあって…」
と言葉を濁す。
ああ。
「誕生日だもんね。プレゼントとか告白とか諸々お忙しいよね。」
はは、まあとか。全く否定しない。昨日のお風呂での結論が頭に蘇ってきた。
「あのさ、」
「はい。」
「箸休めに時間取らない方がいいよ?」
「は?箸休め?」
「うん、そう。玄米なんだけど。」
「…玄米?何か俺ちょっと耳どうかしたみたいで変な単語ばっかり聞こえてくるんですけど。」
「ああ、うん。あのね、ご馳走あるでしょ?」
「あ、と、はい。」
目を白黒させながら一応といった感じで頷いている。
「デザートビュッフェとか、ステーキとか、うな重とか、トリュフのパスタとか。ああ、あと何だろ?」
「牛丼とかですかね。」
思わず吹き出した。牛丼ときたか。
「その前にちょっと良いですか?」
「あ、え?うん。」
「上島さん、綺麗ですよ、今日すごく。」
げ、ん、ま、い。歯を食いしばる。下腹に力を込める。
「でね、」
「まさかのスルーですか。ほんと斜め上行きますよね、毎回。」
おかしそうに目を細めている。ああ勘弁して。こっちは玄米ってもう何十回も唱えてるんだから。
「いるでしょ、いっぱい、そこら中に、ご馳走。」
「いるって言いますかね。あるじゃなくて?」
「君の周りには山ほど。ここに来る前だってご馳走だったんじゃないの。」
ああ、そういう…と顎に手をやって考えている。
「ほらここだって見回してごらんよ。見られてるの、気付いてるでしょ?あっちにもこっちにもデザートたちから。」
何で爆笑されてるのか。こっちは至って本気に諭してるというのに。
「だからこんな玄米にかかずらってないで、もっとほらキラキラして美味しそうなものへGO!」
何が悲しくて夜の乃木坂で身振り付きでGOしてるのか。ああひろみさん、助けて。
「ノっていらっしゃるところ、大変申し訳ないんですが、」
まだ笑ったままバカ丁寧に続けられる。
「玄米、俺好きですよ。っていうか玄米なしで弁当ってありえないじゃないですか。おかずだけでどうやって弁当になるんです?」
「へ?お弁当?今お弁当の話してたっけ?」
構わず続けられる。
「何なら白米でも良いんですけど。ともかくコメなしでは弁当は成立しない。」
大変偉そうに言い切っている。
「いや、まあそれはそうだけど…」
「俺がおかずならいいじゃないですか。」
「え?」
「俺がおかず部分で上島さんが玄米。ね、ほら弁当の出来上がり。」
「え、ちょっと待って。私お弁当の話なんてしてないけど。」
ははは、もういい加減行きましょうよ、ここで一晩過ごすつもりですかと背中を押されている。
「ところでどこに行くんです?」
「内緒。」
「マジすか。」
「マジです。」
そう言ってミッドタウンへと抜ける。予約は余裕をもって7時半にしておいたから十分大丈夫。
「そうだちょっと公園行く?ずっと院内だとフレッシュな空気が足りてなくない?」
「ああ、そうかも。確かに肺がまずい。」
ミッドタウンの庭園、檜町公園を歩く。ああ、気持ちいい。冬の澄んだ夜空に三日月がぽっかり顔を覗かせている。藍色の空に綺麗なレモン色。
「あー、やっぱ外は気持ちいい。」
同じようなことを思ったらしく、長い腕を大きく伸ばして深呼吸をしている。
「うわ、カラス?」
「カラスって…勘弁して下さいって。」
こっちを見もせずに、相変わらず伸びをしたまま夜空を見上げている横顔が綺麗だ。おでこから鼻のラインがやっぱり整っている。でもその下の唇にどうしても目が吸い寄せられる。薄いくせに柔らかかった。ああ、まずいまずい。なに突っ走ってんのよ。げ、ん、ま、い。
そんな脳内でジタバタしている間に静かな声が降りてきた。
「37か。」
「そうだね。お誕生日、おめでとう。玄米から心を込めて。」
一瞬驚いたようにこっちを見下ろして、それから口角が上がった。
「一番嬉しい誕生日になりそうですよ。」
やれやれ。どうしてこうスラスラ出てくるのか。
「それ、毎年言ってそう。」
意地悪く言ってみれば、
「バレました?」
まさかの肯定で歯ぎしりする。おかずごときに負けてたまるか。玄米の意地を見せてやる、今夜は。
「そろそろ行く?予約7時半だから。」
「そうしましょうか。さすが上島さん、あっさり流しますね。拗ねたりしないで。」
「バカなの?」
好きですよねえ、それ言うのと夜空に笑い飛ばされた。
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