1.1月25日、由良希彦37歳

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よ、社長太っ腹、というバカな囃子声を聞きながらカードで支払いを済ませると、 「まだ時間良いですよね、バーに寄りましょう。」 そう言っていつの間にかイニシアチブを奪われた。 やっぱり東京の全夜景が見渡せる大きな窓が美しいバーの、でもカウンターではなくソファー席を選んでいる。 「どうぞ。」 そう言って掌が綺麗に返される。大きな手、すっとした指。 「有難う。」 身体全体が沈み込むような上等なソファに身体を預ける。 ん? 「あの、腕が回ってますけど?」 ソファーの背伝いに伸ばされているらしい手の、でも着地点は私の肩だ。無駄に長い腕には困る、本当に。太ももだって重なりそうなくらいに触れている。どれくらい長いんだろうと思える長さの脚が組まれている。やっぱり黒の革靴は随分大きいサイズだ。見るともなく見ていると、ふっと口元で笑われて、その左手はメニューをめくっている。ああ、しまった。完全にロケーション選びを間違った。焼き鳥屋くらいにしておけばよかった。ああ、まずった。 「何にします?」 横を向かれただけで唇が頬に当たりそうな距離だ。もう勘弁してほしい。ほんと心臓、もつかな。でも大丈夫か、隣のこの人はよりによって救急医だ。何とかしてくれるだろう。 「ねぎま、あとつくねも。」 「え?」 「あ、ごめん、ええっとギムレットで。」 「渋いチョイスですね。俺はマティーニにします。」  自分に何が似合うか熟知してるってどうよ。左手をちょっと伸ばして合図すると、すぐにオーダーがとられる。もうそれだけで終わってしまう。あとはこの人と二人きりだ。どうしよう今更ながら覚悟が足りない。かき集めて総動員したって、どうしたって足りない。ともかくこの腕の中から逃げないと。 「ト、トイレ。」 勢いよく立ち上がった私を呆気にとられたように見上げて、でもすぐに微笑んだ。 「どうぞ。」 慌ててバッグをひっつかむと廊下に出る。 ああもう、どこかで冷たい水とか売ってないだろうか。ないよな、天下のリッツでペットボトルの自販機とか。肩を落としてトイレに向かう。鏡に映った顔を見て、その上気ぶりに頭を打ち付けたくなった。なに、これ。発情真っ盛りですって顔。どうしたら良いんだろう?ファンデ厚塗りする?いやまずいまずい、それじゃチンドン屋みたいだ。とりあえず深呼吸しよう。そうだ、伸びも。腕を上に思いっきり伸ばしたところで、ドアが開いて他の女の人が入ってきた。あまりに気まずくて個室に入る。 ふう、どうしよう、この先。病院だったからまだあの程度だったんだ。もしあの人が本気出したら、どこまで行くんだろう、どこまで立ち上るんだろう、あの色香は。もういっそアイマスクと耳栓でもしたい。でも仕方ない、自分で蒔いた種だから。ともかく今夜は早く切り上げよう。それしかない。よしっ、こぶしを握ってドアを開けた。手を洗ってついでに頬にも水をかける。リップを塗り直す。 頑張れ、絵梨花。頑張れ、玄米。
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